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「哲学」は何のためにあるか?

By Hiroki Kamata | 2008年 6月 2日

 新聞広告を見て驚いた。「岩波講座・哲学全15巻」である。1巻を除いてほぼ「××の哲学」となっており、××=心と脳(、知識/情報、科学/技術、生命/環境、性/愛…)と並んでいる。1970年前後に出た旧「講座全18巻」では、「××の哲学」というのは「現代、人間、自然」という最もメタな概念のみだ。この変化をどう考えるべきなのか。

哲学の基本は「考える」ことについてつきつめて考えるコトである。同時に考えた結果としての価値(たとえば「善」)についての立論も含めることができるが、それは考える方法や道具、前提に関する批判的な省察を伴う必要がある。さもないと、「ともかく私はこう考えた」で終わってしまうからだ。「社長の哲学」など聞きたくもない人も多いだろう。哲学は「愛知」であって「愛自」ではない。

だから哲学を体系的に語るとしたら、一人(あるいは少数の同志)で講座を完結させるか、哲学者の思考の歴史としての哲学史を専門家を結集して作る(中央公論新社『哲学の歴史』全12巻+1)かしかない。それに西欧中心の謗りを免れるためには、インドや中国(それに日本)を外すことはできないだろう。そもそも、いまなぜ哲学が問題になるかといえば、私見では「情報科学」が意味や価値を扱う時代となっており、それらを共通の議論の俎上に乗せる必要が出てきたためである。あるいは、市場とか、社会とか、正義とか、貧困とか、教育とか、あるいは人間とか、なんとなく受け容れさせられている言葉について、コンセンサスを得る必要があるのではないかとも思う。それには、存在論・認識論から価値についての議論に至るまで、きれいにマッピングしてくれるものが望まれる。

ところがである…。「岩波ともあろうものが」というのは差別的だから言わないことにして、新講座の構成はいったい何だろう。「××の哲学」だったら、「××」専門家が中心となった議論をもとに語るべきものだろう。すると「××原論」といった黴臭いものとなってしまう。それはそれで、嫌いではないが、岩波は「××」を「哲学者」が論じる(語る)スタイルにしているようだ。これはこれで「好きにしたら…」と言いたくなる。3「言語/思考」と4「知識/情報」にしても、ITの現場で、これらの「問題」と日々格闘している人の疑問に応えるものとはとうてい思えない。もちろん個々には価値ある議論もあることは疑わないが、新講座の編集者はよほどハッピーな生活を送っておられるのか、考える自分が嬉しいのか、「愛知」を「愛自」と勘違いしているようだ。 (Object-Insiders, 06/02/2008)

Topics: 書評(本・新聞・ブログ) | No Comments »

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