広告とネットサービスをめぐるビジネスモデル
By Hiroki Kamata | 2008年 6月 16日
ヤフーとGoogleの提携について、マイクロソフト社幹部は、「市場での競争を減らす」と批判した。競争について云々するには、同社はあまり適任とは思われないが、指摘は正しい。しからば、マイクロソフトのヤフー買収が、競争が促進するかというと、そうとも思えない。広告という、一種の「メタ」サービスは、容易に他のビジネスとの兼業ができないという性質を持っているからだ。
市場区分と競争・発展
市場の区分というものが、企業の発展において非常に重要なのは、スポーツ競技でルールやグラウンドが重要なのと同様である。さらにマクロに考えれば、産業の発展においても、区分は重要な意味を持つ。米国のコンピュータ産業においては、1950年代以降、司法省によって「サービス」「ソフトウェア」の分離が進められたことにより、技術革新とベンチャービジネスを刺激し、すべての部門で高成長が可能になった。つねにIBMがターゲットになってきたが、それによりIBMじたいも鍛えられ、その後の技術的進化を主導することもできた。
現代において市場区分がとくに重要な理由は、いま一つ。インターネット時代では、これがビジネスモデルに直結するからである。周知のように、インターネットはほとんど万能のサービスプラットフォームであり、「メディア」と「通信」「コンテンツ」、さらに「ソフトウェア」と「広告」という一見無関係なものを、引き合わせた。ほとんど無限に多様なビジネスモデルが可能になったように思えるほどである。
1980年代に、同じく司法省主導で進められた米国電気通信事業の改革は、AT&Tの解体のように、サービスの面では必ずしも肯定的な面ばかりではなかったが、通信と情報処理の境界を崩したことで技術革新とグローバル化は進んだ。ただし最大の恩恵を受けたのはノキアなど欧州のビジネスだった。分割の内容とプロセスを間違えたために、市場が思った方向には発展しなかったのである。通信の世界で必要な自由な発想と開発力を、米国は軍事分野に投入しており、社会的な通信基盤の面では、世界をリードしているとは言い難い。ただし、ポテンシャルはなお、とてつもないものがある。
「広告」をめぐるバリュー・プロポジションとビジネスモデル
さて、目下のテーマは、広告とネットサービスである。広告業は、売りたい者の情報を買いたい者に、最適な手段で提供するのが仕事だが、その際「情報」「買いたい者」「最適な手段」などの変数の組合せをコントロールして広告主の期待(バリュー・プロポジション)に応えられる能力が問われる。そこで情報にフォーカスするクリエイティブ、買主にフォーカスするマーケティング、手段にフォーカスするメディアが絡んでバリューチェーンが形成される。20世紀は、基本的にメディア主導で広告市場が作られてきたことはいうまでもない。Googleの革新性は、マーケティング駆動モデルを確立したことにある(ヤフーはメディア性にこだわっていた。両棲類のような存在か)。
「検索」はマーケティング駆動の前提となる。かつて新聞購読やTV視聴率、アンケート調査など以外に知ることが困難だった何億人もの人間の「情報行動」を分析しつつ「プライバシー」に食い込んでいくことで、このモデルは成り立つ。プライバシーを把握するためには、無料サービスで釣るのが一番で、検索サービスに始まり、コンテンツ、ソフトなど無償化の範囲を広げていく。そしてついにマイクロソフトの牙城にも手をかけるまでになったわけである。マイクロソフトがこの無償サービス型ソフトウェアに脅威を覚えるのは当然で、そこでGoogleへの対抗策としてのヤフー買収を考えた事情も理解できる。
しかし、これは成立しない。マイクロソフトが広告事業者としての最も重要な資格を欠いているからである。売主(広告主)と買主(消費者)のどちらにとっても、広告事業者に期待するバリュー・プロポジションの中には匿名性、透過性というものがあるはずである。広告事業者が空気のような存在であればこそ、ぶっちゃけた話もできる。Googleのユーザーは、裸の自分を、このプライバシーコレクターに見せても羞恥心を感じなくてすむ。感じたら、とても使えるものではない。マイクロソフトは「空気」のような存在だろうか。OSを毎日起動し、IEを使い、Officeを使っていても、とても「空気」にはならない。マイクロソフトがユーザーに約束するバリュー・プロポジションの中に、匿名性、透過性というものはないし、逆に空気だったら、安いとは言えない製品を買わないだろう。
買収は市場的には無意味。AOL-タイムワーナーのごとし
マイクロソフトは、透明な存在になるにはすでに大きすぎ、重すぎ、臭いすぎるのだ。メディア的な性格を強く持つヤフーの買収は、メディアとしてのMSNの巨大化しか意味しない。これは20世紀の発想で、けっして成功しない。つまりソフトウェアビジネスには役に立たず、メディアビジネスでは利益を出せず、広告ビジネスでは1+1=1にしかならないだろう。逆にメディアと広告のそれぞれの世界で競合を作り(顧客を敵に回す)、ソフトウェア企業をGoogleの側に押しやる。ヤフーの特徴である多くのクリエイティブなサービスは、マイクロソフトが手を触れたとたんに金よりは砂に変わる可能性が強い。Googleの強さは、本業の広告ビジネスを含めて、ほとんど「競合」を持たないところにある。いわばマイクロソフトは競合を打ち負かし、力で市場での地位を築いてきた「覇王」である。誰もが尊重はしても、裸を見せても気にならない相手ではない。
マイクロソフトGoogleと同じ土俵では競合できない。Googleは百も承知で、マイクロソフトの“脅威”をことさらに強調している。しかし、マイクロソフトは(発想を柔軟にすれば)まだ本業で成長できるし、それを実現する技術力を持っている。それができないと、ITの世界はIBMとHPを中心に回っていくことになるだろう。それは市場の成長力を最大化することにはならない。Googleの脅威へ対抗するにはヤフー買収はまったく役に立たない。ヤフー株をすぐに売りたい人を除けば、この合併は無意味だ。ジェリー・ヤンは引退にはまだ早い。むしろ遅くないのは“20世紀型最後の大物経営者”スティーブ・バルマーではないだろうか。
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