カテゴリー

最近の投稿

ブログロール

EU経済帝国を考える (1)

By Hiroki Kamata | 2008年 6月 24日

21世紀型帝国モデル

冷戦が終結し、アメリカが唯一の世界帝国となった時以来、世間では「一極」という言葉が使われてきた。しかし、両極のない磁性がないように、極というものは本来2つはないと成立しない(1)。「太極」(万物の根源)という概念はあるが、これは陰陽二気を生ずる始原の混沌のことであるから、一極は無極と同じことで、一極主義の「新世界秩序」など荒唐無稽だ、と思ったのは私だけだったようだ。しかし、言葉というものは古来の知恵の集積であるから、あり得ない概念は結局霧消することになる。

一極が生む混沌を制止できなかった米国政府は、一極的秩序を現実化するために「テロ」という仮想の極を創造した(2)。これはそもそも無理があった。戦いを始めるのは簡単だが、勝利はあり得ず(憎しみが再生産される限り)、コストも無限に増え続けるからである。フィクションをリアルにするためには莫大な金が必要になる。しかし、彼らの辞書には「財源は?」とか「将来の世代への借金」などという言葉はないようで、1930年代の日本の戦争指導者と同じように、目先の計算だけでやってしまった。結果はご覧の通りで、1987年以降、10年毎に巡ってきた金融危機も重なって、戦争の続行も不可能になりつつある。

ところで、米国が新世界秩序の形成において最も重視した存在は「敵」ではなくEU(とくに大陸ヨーロッパ)であったように思われる。巨大な市場圏であるだけでなく、それ自体が旧来の国家-帝国モデルを超えたEUが、「唯一の世界帝国」を脅かすものであるのは、その多元性、多様性が(辺境と外敵の存在を前提とする)古典的帝国よりも、市場モデルとして優位にあるためである(3)。むしろ、米国が帝国の夢とロマン(野蛮に対する文明の守護者というロールプレイング・ゲーム)を追求しているうちに、EUはますます実利を得て、自身の経済秩序を、会計基準や多種多様な技術標準などの世界標準という形で実現していくことができた。米国企業はますますEUへの対応を強めているし、それは日本も同様である。5年前に1ドル以下の価値しか持たなかったユーロは1.6ドルとなっている。

米国 vs. EU:言語

ビジネスの環境として最も重要なものは言語である。ビジネスにはまず共通語が必要で、そのレベルによってビジネスの質も決定されるほどである。「英語」を母語に持つ米国は、それだけで有利に思える。しかし、共通語はグローバルな取引には必要だが、ローカルなレベルには降りていかない。コンシューマーにアクセスするには限界がある。米英以外の市場では、ローカルな言語が使えないのは圧倒的に不利である。米国人は、なまじ英語が使えてしまうために多言語環境になじまない人が多い。他方でEUは23の「公用語」を持ちながら、ビジネスには共通語としての英語を使う。フランス人やドイツ人の英語が下手だったのは過去となった。EUのビジネスマンは多言語を武器として、米国のヒスパニック市場や中南米市場への進出も容易にできている。中国語とアラビア語を追加すれば、世界市場の大半をカバーできる。

ITの発達、インターネットの普及がこうしたi18n/L10nの共存を可能にしていることは間違いない。多言語のオーバーヘッドに見合う利益は、かつてはほとんど成立しなかったが、現在では大きな利益を生む。英国やスペイン、イタリアの有力サッカーチームは、多言語サイトを持ち、世界をマーケットにしている(4)。米国(英語)が世界市場の半分を占めていた時代は、たぶん永久に過去のものとなった。成長するためには多言語環境が必須だが、米国企業の中では、最初から世界市場をターゲットにしているIT企業のほかは、遅れている企業が多い。遅れを取り戻すには、EU拠点を強化するしかない。日本企業も同様だ。こうして言語環境は、逆に英語ナショナリズムを強めつつある米国より、緩やかな経済帝国であるEUに有利となっている。エンタープライズITモデルにおける緩やかなカップリング、サービス指向(SOA)と同じことだ。メインフレーム(米国)は不滅であるとしても、わざわざ新しいシステムには使わないだろう。

米国 vs. EU:ビジネス・プラットフォーム

言語からスタートしたi18n/L10nが、ローカルな慣習を超えるビジネスのルールや取り決めのレベルにいくまでに、さほどかからなかった。言語におけるi18n/L10nの次に必要になるのは、企業会計、ビジネス語彙などにおける国際ルールである。

かつては、最大市場の米国におけるルールが「グローバルスタンダード」であるように言われた。しかし、米国市場が、その先進性(実験性)ゆえに失敗をするたびに、EU標準は重みを増してきた。ヨーロッパは標準を創造するためのプラットフォームとプロセスを有しており、それは市場が小さかったころから(揶揄されながらも)たゆまず培ってきたものだ。排出権取引などでも、アイデアは米国で生まれても、世界に対して成功を収めつつあるのはEUなのである。かつては各国が独自の利害とコンセプトに固執して共通化に至らなかった分野でも、5億人の市場を背景にし、ITのサポートを利用することで精緻な標準の通用性は高まっている。

ビジネスのルールの共有についても、言語と同様、インターナショナルなものとローカルなものとの共存方法の発見が重要になるが、EUのスタイルは自国ルールの優位を説くしか方法を知らない米国よりスマートで、21世紀的だ。EUは複合市場であり、そこで作られたルールは「世界」で通用する。あるいはEUルールは世界を視野に作られている。ブリュッセルのEU官僚の多くは「新興国」の出身で、それだけに(出身国でなく)EU中心主義の傾向が強い。マイケル・ポーターなどの経営理論を学んだEUテクノクラートの存在も、グローバル・スタンダードにおけるEUの強さの源泉の一つと言える。
こうしてみると、「世界の警察官」を買って出ている米国が哀れにさえ見えてくる。その姿は21世紀のドン・キホーテ、そしてサンチョ・パンサはアジアの同盟国か。(続く)

 注

  1. ではなぜ「東京一極集中」が起こりえるのか。それは日本人のイメージが「外国vs.日本」という二極構造に慣れており「日本」を、官庁が存在する東京で代表させてしまっているからだ。東京は輸入も輸出も仕切る商社のようなもので、そこを通すのが「きまり」になっていると人々が思っている(あるいは地震などで東京の機能が破壊されない)限り、「地方vs.東京」の図式が続くことになる。
  2. テロは人類の歴史とともに存在してきた弱者の武器で正邪とは無関係なものだ。歴史の転換点にはほぼテロが生まれる。アメリカもイスラエルも、テロから生まれた国家である。アメリカの「パトリオット」は、英国植民地の臣民でありながら、納税を拒否して暴力に訴え、正規軍に対してテロ行為を仕掛け、みごとに勝利した。イスラエル建国の英雄は、キングデービッドホテルを爆破して英軍将士を殺傷し、アラブ人の村を襲撃して目的を遂げた。しかし、成功例が稀で、多くの「テロリスト」がそうした結果とは無縁だったことは言うまでもない。
  3. もちろんEUは30あまりの国家の寄せ集めで、格差は大きく、外交的にも指向は同じでない。仏独という枢軸と、その支配を嫌う小国家、片足しか入れていない英国などが存在する。トルコ加盟問題も、東欧問題もある。矛盾は瓦解に向かうこともあるが発展の原動力ともなる。
  4. 欧州系の言語のほかに、中国語、韓国語、日本語がサポートされているが、面白いことに中韓語のほうが通用範囲が広い。日本語は特定チームに集中している。

Topics: 現代世界論 | No Comments »

採点をお願いします。


コメントはこちらへ