“過剰同調”型社会
By Hiroki Kamata | 2008年 6月 26日
「いや、ほんと」「確かにそうかも」「なるほど」
グループメールでのやりとりには、必ずといっていいほど出てくる。メールでのコミュニケーションには、人をキれやすくする要素があり、それなりの“緩衝的同調語句”が必要となるからだろう。たいていは、特定の人物(クライアント、スポンサー)に配慮しているのがみてとれる。つまりは、
「世の中は、左様然らばごもっとも、そうでござるか、しかと存ぜぬ」
なんと、ITとインターネットの時代に、非現代的(いわゆる“封建”的)コミュニケーション・スタイルが復活しているのである。これもガラパゴス現象といえよう。
しかし(外国人との)英語のメールではこうした「同調語」は不要で、要件・要点を簡潔にしないと、頭が悪いと思われる可能性があるほどだ。フォーラムなどのやりとりをみても、じつに生産的で、小気味いい。こういうスタイルで、オープンソース・プロジェクトが可能になるということが分かる。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」というのは、本家の中国でさえひとつの理想であって、君子などざらには居ない。しかし、簡単に炎上しやすい社会は「大人」がいないということでもある。冷静な議論(冷静でないと議論ではないが)ができないわけで、声の大きい人間に従うか、鳥や魚の群のように集団行動することになる。うまくいく場合はあるかもしれないが、どうも「成熟した民主主義社会」としては不気味すぎるではないの。集合智を形成するはずのWeb 2.0が、「世の中は…」を唱和しているだけではつまらない。日本的社会関係を尊重しつつも、生産的なアイデアを育てられるようなインタフェースを作っていけないと、たいへんなことになりそうだ。
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