サムくても「クールビズ」
By Hiroki Kamata | 2008年 6月 27日
かつては漫才師や演歌歌手もスーツにネクタイが普通だった。「お客様」に対する礼儀と考えられていたからだろう。梅雨寒が続く中の「クールビズ」は、これが気温や省エネなどとは一切無関係な、画一的な官製運動であることを曝け出し、哀れをもよおす。
そもそも、スーツを着るのが「礼」と思えばこそ、普段着ているわけだろう。「威儀」も必要な政治の世界では、スーツにネクタイは(民族的正装を着用する一部諸国を除き)世界標準といってよい。暑いから、というのは理由にならない。天皇も臨席されることがある国権の最高機関がノーネクタイで、世界に通用するだろうか。福田総理や河野議長がスーツ派であるのは救われるが、他の閣僚がいかにもだらしなく、頼りなく見える。
思えば「クールビズ」は、真夏に燃えた小泉政治の産物だった。唯一ノーネクタイでサマになる絶叫姿は、他の政治家との圧倒的な差を演出し、総選挙の大勝を呼び込んだ。官庁でも「クールビズ」は徹底され、企業のトップが訪問しても「脱ネクタイ」がほぼ強要されたという。服装の同調が政治的立場を示すものとされたのだろう(ヘアスタイルにでもすればよかったのに)。しかし、後任の安倍首相となると、ノーネクタイは襟元の弱々しさを際立たせ、仲良しグループでゴルフの帰り、といった“脱力内閣”の雰囲気となってしまった。ネクタイを外したことで政治生命を縮めたとさえ思える。
行住坐臥の威儀は「まつりごと」としての政治に不可欠なもの。アメリカを見るとよく分かる。大統領はほぼいつも「赤いネクタイ」であり、これはワシントンの標準でもある。政治家や官僚の「クールビズ」ほど米国人に異様な姿はないだろう。さて今回はどのくらい続くのだろう。
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