停滞する米国ITビジネス
By Hiroki Kamata | 2008年 6月 27日
好調のアップルが例外に見えるほど、米国のITビジネスには停滞感が漂っている。そもそも、マイクロソフトがヤフー買収にこだわるのも、Vistaの失敗と株価下落によるものだろう。EDAの世界では、ケイデンスがメンターに買収提案を出しているが、これもも業績低迷に動かされたもの。モトローラも「株価浮揚対策」のプレッシャーを受けている。
停滞感が生じる理由は、サブプライムショックによる金融の現状よりは、テクノロジーのほうではないかと思う。そもそも、1997年の金融(通貨)危機を抜け出せたのは、ITが新しいビジネスモデルを動かしてきたことが大きかった。仔細に見れば、ITじたいは20年前のものの焼き直しであっても、とにかく革新的ビジネスモデルや、プロセス管理に結びつく最適化技術、ライフサイクル管理など、もろもろのITを組織化し、統合して、現実のビジネス(ユーザー)に使えるインタフェースで提供したことは、過去10年あまりのITの最大の特徴だといえる。“ドッグイヤー”という言葉も、米国を中心としたネットビジネスについてだけはなおあてはまる。中心から離れると極端に動きが遅くなるだけだ。
とはいえ、「革新的技術」が本当の意味での技術革新につながるという意味では、現在は停滞的に見える。MS、HP、IBMのビッグスリーから、ぞくぞくするようなイニシアティブが発表されることは絶えてない。MSなどは、これまで世界的な頭脳を集めたことではグーグルを凌ぐと思うが、技術的にはポテンシャルの1割も出していないように見える。どうもあまりに大人の会社になり、リスクを取れなくなってきているのではないか。1980年代のDECが同じく最高の頭脳を集めながら、ほとんど足跡を残せなかったことを思い起こさせる。1980年代におけるMSの成功は、ビル・ゲイツが小成でなく大成を欲し、リスクを取りきったところにあると思う。彼は20年前に1のリソースで100のことをやったが、現在は100のリソースで1のことをやろうと汲々としている。残念というほかない。
今日ののITビジネスの名門の多くは1980年前後に生まれている。創業者世代は1970年代のヒッピー文化の影響を多分に受けた。金儲けや大企業を軽蔑し、長髪に髭はデフォルトのようでさえあった。10年後にはインターネットが新しい舞台を提供し、スタートアップ企業の創造性が遺憾なく発揮された。しかし、ブームがバブルを生み、それが崩壊したあたりで、スタートアップは最初から「出口戦略」を考えるようになった。グーグルやヤフーのようなグローバルな指向を持った企業以外は、嫌でも「売り抜け」を意識させられる。小成(というには金額的に大きすぎるものが少なくないが、技術的には小成である)
テクノロジーの停滞は、技術自体が壁にぶち当たったとは思えない。例えば、EDAはハードウェアとソフトウェアの統合(協調)を超えて、メカトロニクス、生産システム、社会システムなどの統合=最適化というモデル駆動(MDD)パラダイムを主導すべきポジションにいると思われるが、かつて新しい技術と市場を創造したケイデンスなどの名門は、ソフトウェアにおいて後れを取っている。標準化にも腰が重い。ユーザーが望んでもなかなか動かない。パラダイムの変化を主導するには、過去の成功が大きいほどリスクは大きくなる。
米国企業が動かず、スタートアップも小成に甘んずるとすれば、革新とリスクと成長は米国を離れることになるかもしれない。あるいは、米国市場はこれまで通り革新性を持ち続けるとしても、企業やそのスポンサーは米国というカラーを薄め、米国以外の顔ぶれが多くなるのかもしれない。少なくとも、EUや中国、インド、ロシアなどはそうした変化を積極的に指向している。変化は、日本にとっても悪い話ではない。変化を読むには、米国の大手IT企業の動向だけを追っていても分からなくなる。
Topics: テクノロジーとビジネス, 現代世界論 | No Comments »