サッカーはどういうゲームか
By Hiroki Kamata | 2008年 6月 28日
英国プレミアリーグ、欧州クラブ選手権UCL (UEFA Champions League)に続く、EURO 08の激闘で、観ているほうも疲労が溜まってきた。いよいよ決勝を残すのみだが、今回の大会は、全体として攻撃的スタイルに回帰したのが特徴である、これについては後で考えるとして、サッカーとはどんなゲームなのかについて(いまさら)まとめておきたい。
スポーツ以上、ビジネス以上
むかし、スポーツ雑誌の編集をやりたいと本気で考えたほどで、なかでもサッカーは最も関心のある競技だ。ゲームじたいも、もちろん面白いと思うが、思えない人もいるのがさらに面白い。これは社会や国民性ととても関係が深いので、そこを考えながら観るのが好きなのである。さらにこれはユニークな巨大産業で、広告媒体でもある。専門のエコノミストも多く、チーム経営は優秀なプロが参加している。もちろん、世界的なビジネスカンファレンスも開催される。これだけ「何ででもある」スポーツは皆無だろう。
ゲームとしては、バスケットボールやアイスホッケーと同じように「攻守一体・役割交替・直接接触」が基本だが、広大なピッチと手が使えないという(無限の変化を生む絶妙な)制約を課している。だから自然の影響を受けやすいことも当然だ。選手の消耗は激しく、コンディションの調整はおろか、負傷の影響、ファウルアウトの可能性も考慮しなければならない。まあこれほど複雑にしているスポーツも絶無だろう。偶然の影響も受けやすい。「試合に勝って勝負に負ける」などサッカーでは大げさに言うほどのことではない。変数が多すぎるから、チームの戦略と戦術(の実践)が最も重要となる。しかも彼らはそれが万能でないこと、負ければ必ず批判されることを知りつつ実践するわけだ。
そうしたところから、(1)決闘性(一対一)、(2)戦術性(数的優位)、(3)戦略性(攻守のバランス)などが発展し、スター選手だけでなく、全員の連動性、監督采配、動機付けなど、見るべき要素もどんどん広がっていく。サッカーに最も足りないものといえば、そう「得点シーン」くらいなものだ。それだけは我慢してもらわなければ、この最も面白いゲーム、ビジネスの99%を見ないことになってしまう。
「決闘」は時にゲームやビジネスをも超えてしまう。W杯決勝のジダンの「頭突き事件」などは、サッカーで最もすばらしいシーンとして、彼の「マルセイユ・ルーレット」同様に記憶される。決闘を嫌うドイツのチームも、頭脳的で、忍耐強く、狡猾なディフェンスを展開し、相手に隙が生まれたときに仕留める。ゴールシーンはさほど美しくもないが、それまでのプロセスの組み立ては、思わず唸るほどだ。「陽気な」イタリア人が、何よりも全員で失点を防ぐことに創造性の大部分を発揮し、「ルーズな」フランス人が天才的な将軍の統率の下に、驚異的な組織性を見せたりするのも、ステレオタイプな国民性評価に慣れている人にとっては新鮮な驚きかもしれない。
ビジネスも、人生も「サッカー」である
結局のところ、サッカーはかなり都市的なスポーツだ。都市といっても、スラムがあり、ナイフや素手の決闘を誇りとする下層階級の若者が、オトコの価値感をサッカーにぶつけるストリート文化が発展し、それを幅広い庶民が応援するようなところだ。ビジネスマンはチームをビッグビジネスに育て、全世界から大金で才能ある選手を集めて、これもハイテンションなビジネスを行う。ビジネスとしては、数十億円も注ぎ込んだ選手が運ぶ「夢」を大事にするとしても、リアリズムを優先する。金は動機の重要な部分だが、それでもサッカーに対しては脇役に徹する。それはMLBがベースボールを世俗宗教の域にまで高めているのと同じだ。
メディアにおける今回のEURO 08の最大の話題の一つは、クリスティアノ・ロナウドが何点取るかだったが、じつは彼を止めることは、一流のディフェンスを持ったチームならそう難しくはない。彼のいるチームに勝つことが難しいだけだ。監督はロナウドの能力を生かすことを考えているのであって、彼に頼って勝とうと考えているわけではない。それはイングランドリーグでもUCLでも見ていればわかることだが、ゴールシーンだけを何十回となく見ている人(つまり圧倒的多数)ほど、何でもやってくれそうに思ってしまう
してみると、前回のW杯でしばしば語られた陳腐な公式「組織か個人か」というものほど、無意味なテーマはない。ジーコのような象徴的天才に、個の力を解放する呪文を期待したのだから、マネジメントとしては無責任というしかない。EURO 08でも見せつけられたのは、最高の組織戦術を可能とする個人、個人の能力を発揮させる組織という、古典的なテーマである。あるレベル以上になると、得点はわずかの隙を突いて、ある確率でしか生まれない。超人的なプレーが光芒を放つのは、そうした機会が少ないからだ(だから価値が高い)。野球のように攻守が時間的に切り替えられないから、隙(得点機)は90分間でも120分間でも生まれない可能性すらある。攻撃機会を増やせば、失点機会も増える。トレードオフだ。
サッカーにおいて「決定力」なるものが意味を持つとすれば、ゴール前での冷静さで、これは日本の武芸者たちが追い求めた心法、つまり「静寂の境地」にも比べられるものだと思う。激しい動きの中でも、切れないスタミナ、動じない心を持つようになるまで、ほとんどの剣豪は、これを一人山中や寺社で修行した(ことになっている)。決闘(真剣)における度胸は、技術をいくら磨いても得られない。今回のEUROでは、トルコの選手が驚異的なパフォーマンスを示した。これはサッカーの奥深さを見せてくれた、記念すべきゲームだった。
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