なぜ「制度」は失敗するか
By Hiroki Kamata | 2008年 7月 3日
タバコからは久しく遠ざかっているので知らなかったが、「タスポ」なるカードシステムが導入され、タバコの売上が激減しているという。カードの普及の見通しも立たないらしい。株券の電子化でも混乱が予想されるという。メディアは沈黙しているが「地デジ」も然り。どうも「リサイクル」「建築確認」「年金」「老人医療」「派遣」など行政を発信源とする“制度障害”に新たなページが加わりそうだ。
当たり前のことだが、どんな制度(システム)も完全ではなく、トラブルは起きる。安全の定義は、事故が起きないことではなく「リスクが最小の状態」を言う(ISO/IEC Guide51)。最小というレベルは、リスクと管理手段=コストについて見えていないと設定できない。これは対象が毒入り餃子だろうが、家電廃棄物(資源?)だろうが変わることはない。ではなぜ最近、霞ヶ関は“トラブル”を起こすのか。ざっと考えられるのは、
- システムに関連する要素が複雑になっているのに、制度設計が工学的に不十分なまま導入してしまっている。
- 立法化の時点で十分に行政のチェックをすべき、マスコミと野党の機能が不十分な反動として、トラブル発生時に攻撃を集中する。
- トラブルが生じた時に矢面に立つべき指揮官が不在で、全員が自己保身モードに入るので、逆に全体としてサンドバック常態となる。
- 21世紀に入ってもまだこの国の主権者は「行政の無謬」を(信じてもいないのに)受け容れている。無関心の反動で“炎上”しやすい。
- プロフェッショナリズムが求められないので、当事者は「万全」「最後まで」といった心情表明が要求される。
システム(に関連する要素)の複雑化とは逆に、行政や政治、メディアのプロフェッショナルとしてのレベルが低下しているということだ。きわめて危険というしかない。日露戦争の後に「日比谷焼討ち事件」を起こし、太平洋戦争を「炎上」させた世論もかくやと思わせるものがある。
繰り返すと、制度を作る(変える)ときには、「リスクが最小の状態」についての社会的合意を作っておかないと必ず感情的問題を生じる。感情は議論を不可能にし、時に問題解決を何十年も不可能にする。システムに起因する事故では、当事者を免責にしてでも、リスクを明確にし、対策を徹底することで将来の被害を最小にする方法が取られる。航空機事故や医療事故では、そちらのほうが社会的利益が大きいからだ。個人の罪を問おうとすれば、当局者は誰もが嘘をつくか真実を隠す。これは敵対的利害をわざわざ作り出すようなものだ。
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