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発想の袋小路-日本の三大パターン

By Hiroki Kamata | 2008年 7月 5日

人が何かを発想する場合には、たいてい一種のアーキタイプ(原型)を使う。といってもユンク心理学のような深層の概念ではなく、文化が生み出したパターンのことだ。子供の頃から慣れ親しんできた、あるいは教育の中で刷り込まれた「偉大な過去の物語」(歴史の別名)が、そうしたパターンとなる。日本の場合、物語のフレームワークを作っているのは「戦国・天下統一」「開国・維新・近代化」それに「改革」に尽きる。前の2つはNHK大河ドラマ。「改革」とは江戸の「三大改革」であり、それ以上はない。前の2つが「野望」、後のほうは「辛抱」の象徴というところだろう。
こうしたアーキタイプがいかに根強いかは、最近の歴史学の成果(「物語」を否定する史実と分析)がほとんど人々に影響を与えていないことがよく示している。「天下統一」は必然でも必要でもなかった。「開国」と「維新」「近代化」は無関係で、しかも結果的に日本の伝統文化を破壊し、現代には重荷でしかない集権主義を根付かせてしまった。そして江戸の「改革」は、歴史を後に戻そうとするあがきのようなもので、田沼意次こそ改革者だった…。しかし、ドラマでは信長や竜馬、西郷は英雄であり、その「偉業」は動かない。朝倉義景や新撰組は「時代に逆らった」ことになっている。歴史小説の力はすごい。

大阪府の「大改革」は、「5兆円の借金」を「質素・倹約」で幾らかでも減らそうという“壮大”な意図のようだ。政府の「骨太」なんとかも、「無駄遣いをやめて」「800兆円の借金」をどうにかしようとしている。実現してどうなるというのだろうか。できなければ(できそうもないが)どうなるのか。政治家や政府は行政サービスのプロであるべきで、何よりも国民や企業、そして諸外国に対して実行可能な、合理的・創造的「ビジネスモデル」を提示することが求められている。もちろん目標は、持続的な産業的・社会的・文化的発展を実現することだ。政府が小さいほうがいいか大きいほうがいいかは、手段の問題である。
それさえやってくれたら、マッサージチェアを買ってもいい。タクシー通勤してもいい。職員の給料も増やすべきだ。われわれは、まるで身分制時代の「統治者」のように、彼らが「自ら範を垂れ」て倹約することなど望んではいけない。人格を否定するのもよくない。能力だけを問題にすべきなのだ。さもないと「無駄遣いは一切しませんから、給料だけはください」となる。

最近の「新前川レポート」でも「開国」イメージがふんだんに使われている。開国(市場開放・規制緩和)が発展に結びつけば結構なことだが、20年前ならいざ知らず、現状ではそんなことで自動的に発展が導かれるわけではない。レポートは発展のモデルとテクノロジーについて、そのための政策手段について語っていない。明治の発展は「開国」したから実現したわけではないし、戦後の発展もそうではない。その時点での産業技術革命に乗り、いち早くキャッチアップしたからだ。現代の産業技術革命に即した発展モデルと政策を提案するのがプロの役割であり、そのために日本だけの知恵では足りなければ、外国から借りてくるしかないだろう(明治、戦後のように)。

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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