工業化の破綻と「食」の再生
By admin | 2008年 7月 7日
食品が「情報」ビジネスとは感じていたが、その意味するところを、最近は毎日教えられている。これだけ複雑な要素が絡むフードビジネスは、築地の魚市場のように、最も現場の専門知識・経験に依存するはずである。しかし、工業化、情報化は大型化を志向し、現場のインテリジェンスの担い手である労働の価値をますます低めてきた。むしろ現場の知恵を生かし、ITによって小規模ビジネスを支援することにより市場を再生すべきであろう。
食品ビジネスは、味とか鮮度、品質、安全性、供給量と市況などの基本的要素のほかに、産地や「ブランド」などを管理する、非常に複雑なビジネスである。良いものほど供給余力が乏しいので、成功に乗って拡大すれば、初期のバランスが崩れる。高級レストランと同様、清涼飲料ややシリアル食品のように完全な工業化ができない限り、規模を拡大するには不向きなものだ。
それが大きなビジネスになるのは、大手流通があるからだ。大手の情報力(信用力)に支えられれば、供給を拡大できる。味や日付、や産地、ブランドなどの「情報」が利益率、返品率を左右するとすれば、企業としてはなんとか「情報」を操作して利益を確実にしたいと思うだろう。そもそも、近所の食料品屋ではなく、メディアが扱う「情報」が価値を決定するようになった以上、「行き過ぎ」が生じるのは当然といえよう。食品の「情報化」に対し、情報の真実性をチェックする体制が欠落していたということだ。
「性善説」とかは意味を成さない。厳しい時代であり、悪人でなくても、生きるために情報を操作するくらいは自然だと考えたほうがいい。ビジネスとあれば危険な血液製剤さえ売る製薬会社とは違って、誰も死ぬことはないし、値段と味に不満なら、消費者には買わない自由もある。という点では「悪質性」はそう高くない。(「ミートホープ」や「丸明」「魚秀」の社長などは、なかなかに味のある顔をしている)。
それを抑止するものは、(1)職業的倫理観、(2)罰則、(3)事業の継続性などしかない。しかし、日本にはフランスやドイツのように職人が誇りを持ち得る公的資格制度がなく、プロの倫理にはあまり期待できない(公認会計士でさえ甘い国だ)。
いまさら驚くほどではないが、この国ではそうしたことを気にせずにやってきた。情報化以前の健全な常識が、ある程度あったということだろう。なのに、なぜこれほど「不祥事」が明るみに出るのだろう。理由は、非正規労働者を中心とした内部告発しか考えられない。日本的な集団主義、仲間意識が働かないところで、コンプライアンスが問題となる。非正規労働者は、自分を消耗品扱いにしている会社を告発しているのである。情報の操作は、現場の非正規労働者に委ねられることが多い。実態は「非正規」を通して社会に曝け出されているのに、会社はそれに気がつかない。生身の人間として意識していないからというほかないだろう。
いまさら口止めもできず、「賞味期限」の不合理性などを改めなければ、正直な企業から倒産しかねない。食品を管理する厳格な公的制度は必要だろう。しかし、フランスのAOC(原産地統制呼称)制度が1世紀以上かけて形成されてきたように、問題を解決しつつ改良していくというアプローチでいくしかない。すべてについて言えるが、企業家や労働者、行政担当者がそれぞれ「誇り」を持てないようなビジネスでは継続性がない。食品スーパーでさえ、生鮮品中心の「個店主義」の会社が成功しているほどだ、現場の知恵をIT化、ネットワーク化して、単純な工業化モデルを乗り越えられるかどうかが、フードビジネスの再生の鍵だと思う。
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