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現代の貧乏神たち:はじめに

By Hiroki Kamata | 2008年 7月 21日

「近ごろは不景気らしくて、ばかに深刻な顔をしている人が多い。まるで世の中全体が貧乏神に取り憑かれてしまったようだ。貧乏神が大群で押し寄せてきているのかもしれない。」(水木しげる『妖街道五十三次』への序より、2003年)

豊富な貧乏(神)体験を持ち、作品に描いてもいる水木さんの言うことだから、間違いはなかろう。貧乏神に退散いただくために、彼らの百変化の諸相を観察してみたく思って、シリーズを始めることにした。

見渡せば、右も左も貧乏神だらけで、もちろん筆者の身近にもいる。思えば、貧乏神の姿が目につき始めたのは、バブル崩壊から10年ほどを経た「小泉構造改革」の頃だったと思う。貧乏神は、まずバブルや改革などの熱狂やユーフォリア(多幸感)につけこんで、人々を無防備にし、身ぐるみを剥ぎ、ついでじんわりと無力感を浸透させていく。気がつくと、世界は変わって見え(「フラット化する」などと能天気なことを言う御仁がいるが、視点によって世界は別のものとなる)、どんどん縮んでいくようだ。

最近、中国やインドの成長ぶりを伝えるドキュメントなどを見ると、「豊かになりたい人々のうねりが…」といったお決まりの表現に出会う。「豊かになりたい」のは誰でも同じで、日本にも多いことは言うまでもない。20年前の中国やインドでも、日本以上にいたろう。いても何も起きなかったのは、行動に移す方法がなかったからだ。貧しい人々を市場に参加させる方法を、リーダーは知らなかったか、あるいはそんなことに関心を持たなかった。日本で今そうした「うねり」が見られないのは、充足しているからではなく、市場の再生産モデルが崩壊したのに関わらず、再建することにリーダーが関心を持たない(あるいはその方法を知らない)からではないかと思う。

市場の再生産モデルとは、市場への参加によって社会的にWin-Win(和風に言えば自利利他)の関係が築かれることである。人々が市場に参加するのは、基本的には労働と消費を通してしかない。ここで多くの人がきっかけを掴めば市場は拡大し、逆に痛めつけられれば、長期停滞する。だから、競争と弱肉強食は同じであってはならない。食われることが分かっていれば、人々はむしろ市場から遠ざかる。忌避者の数が多くなれば消費は縮小し、悪循環が生じる。

かつて称えられた日本的経営は(繁栄の原因というよりは結果であった可能性が強いが)貧乏神への組織的結界となっていた。これが壊れてしまった後となっては、貧乏神を追い払える人はそう多くない。それに、仮にも一人ひとりで「神」と張り合うのでは勝ち目が薄かろう。そこでまず、久しくなじみの薄かった貧乏神という存在についての知識を共有するところから始めたいと思う。「神は言葉であった」ではないが、貧乏神もまず言葉として存在する身近な存在である。だから、貧乏神も言葉を通して見ることも知ることもできる、と私は考えている。

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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