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現代の貧乏神:“踊り場で踏ん張る”景気の番人

By Hiroki Kamata | 2008年 7月 22日

 「一部に弱い動きがある」
 「ぎりぎり、踊り場で踏ん張っている」

と聞くと、意味は分からなくても、誰が何を言いたい(言いたくない)のかはよく分かるだろう。別に頭がおかしくなったわけではなく、ある言葉を必死に言い換えようとする、「景気のプロ」の涙ぐましい努力の結果だと思いたい。でも何のため?

「悪い」と言ってしまうと「景気対策」「財政出動」の議論になる。そういう議論はしたくない。戦後最長の「ゆるやかな拡大」局面がまだ続いているなら、とりあえず政策の緊急性はなくなる(最近、「すでに終わっている可能性がある」とか言い始めたが)。世界的な経済危機のさ中で、いまこそ“ぶっちゃけた話”を堂々とすべきなのに、「退却」を「転進」と表現するこの発想こそ、貧乏神に取り憑かれた証拠。

米国の財務長官は、「現状は非常に悪い」が「将来は非常に明るい」と単純明快に言った。要は緊急避難的な政策に対する支持をくれというわけで、これは洋の東西を問わず、危機に際してのリーダーの標準的ステートメントだろう。それに対して、ほとんど悶絶しながら超現実主義的な言語表現をひり出すというのは、リーダー不在を語っている。

誰も完全無欠な政策を期待しているわけではない。将来を見据えた現実的な対応を議論するために、まず現状を確認したいだけた。大田弘子大臣の“予習たっぷり優等生”風の爽やかな声で「踊り場で踏ん張っていますので…」とか言われると、つい「ハイ、じゃ頑張って」 としか言えなくなり、議論の気力をなくす。戦後しばらくは経済企画庁が、経済政策の「司令塔」的な気概を持っていたと思うが、2001年の省庁再編により、解体されてしまった。

むかし、旧「共産圏」あるいはその影響下にあった共産党では、特別な婉曲表現を使ってあまり芳しくないことを表現した。例えば、ソ連とチェコの首脳会談に関する発表文で「実務的かつ率直な雰囲気」と形容されていれば、重要問題で決裂したことを意味した。米国のソ連学者(クレムリノロジスト)の中で、この分野は、真意を読み取る”Fuzziology”(あいまい学)の対象とされた。特定の組織により、社会的なコンテクストに沿って複雑なバイアスと暗号がかけられた、非決定論的な言語表現、とでも言おうか。独裁国家では、「事実」を扱う特別な専門家がいるので問題はむしろ少ない。そうではない国で同じことをやっていたら、ほんとうにおかしくなってしまうだろう。

Topics: 政治・経済・ビジネス, 近時片々(時論) | No Comments »

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