現代の貧乏神:“世界の壁”を刷り込むメディア
By Hiroki Kamata | 2008年 7月 24日
最近の“内向き”の風潮については、マスコミでもよく取り上げられる。しかし、この度合いが一番強いのはマスコミだろう。その最たるものが「世界の壁」という言葉。オリンピックなどのスポーツイベントだけでなく、ビジネスや国際政治でも使われる。これをどう翻訳したものかと考えたことがあったが、諦めた。「世界」は世間から地球までさまざまなスケールがあるが、自国と「世界」を対比させる習慣は日本以外にはないからだ。

そもそも「世界の壁」とは何か。いや「世界」とは何か。オリンピックのメダルとかの話であれば、それは階段であって壁ではない。大リーグ(MLB)などは米国の一業界であって世界ではない。それらは原則上、誰に対しても平等に開かれていて、日本だけが(いまだに)騒ぐとすればみっともない話だ。なのに日本人以外には言わないし、不審にも思わない。
どうも、日本から一歩出ると「言葉の壁」があり(これが壁の最大の根拠のようだ)、日本人に拒絶的な世界が広がっているらしい。「世界」は英語を使っているらしいから、「言葉の壁」は日本人にだけ不利なようで、野茂がMLBに活動の場を移した時も、これが「通用しない」説の根拠とされたほどだ。しかし、いまや(平均的には)日本人より英語が下手な中国人が、堂々と「世界」の一部となり、韓国の若い世代はおそろしく英語が達者になってしまった。
「世界の壁」発想の前提をごく単純化して言えば、優しい日本では、人情に溢れ、言葉で言わなくても理解してくれるのに対して、「世界」はよそ者(?)に冷たく、弱肉強食で、いちいち(英語で)議論をふっかけないと話も通じない、といったことになるだろうか。こういうイメージがどうやって生まれ、再生産されているかは非常に興味深いところだが、日本人の貧しい英語力の原因の一つが、「言葉の壁」イメージであることは間違いない。「壁」を感じて怖がっていれば会話など成り立たない。「壁」はそれを意識する者にだけ確かに存在する。
結局のところ、「世界の壁」というのは、日本人を内向きにさせるための貧乏神の罠にほかならない。しかし、優しかったはずの日本は、「非正規」や「後期高齢者」などに冷たい異常な社会になった。逆に、MLBに渡った日本人選手は、高い年棒、無理のないプレー環境、行き届いた健康管理、地域社会の尊敬などを得て、日本よりは楽をしているように見える。貧乏神は地付きのカミなので、日本人に対してしか力が及ばない。「世界の壁」がないと力が発揮できないのだ。インテリぶった評論家などが「世界の壁」を言い立てているのを見かけたら、それは貧乏神が言わせているのだと思ったほうがいい。
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