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現代の貧乏神:痩せよ!

By Hiroki Kamata | 2008年 7月 26日

中東(カタール)のアル・ジャジーラ放送が、「日本では肥満が健康上重大な問題となっており、政府は肥満者に罰金を課すことにした。日本人は数万円のメロンを買ったり、ビールを飲ませた脂肪だらけの牛肉を食べるなどの習慣を持っている。」と伝えていた。最近会った米国の友人(巨漢である)は、「日本じゃ肥満税を取ることにしたそうだな」と言っていた。メタボ健診の受診率や保健指導の実施率が低いと、健保組合に財政的なペナルティが科される、というニュースは世界の物笑いのタネになっている。

なにしろ「男性の94%、女性の83%が何らかの異常を指摘される」という試算があるほどで、これは尋常ではない。長寿国の日本人の大半が病的であると政府が宣言したわけだ。例によって、これに関しても専門家によるまともな議論がなされ、報道され、いつどこで合意ないし意思決定がなされたかは不明である。

“日本人総メタボ宣言”とも言うべき、この厚労省の判断の根拠については、専門家による十分な批判があり、ここでは問題にしない。それより、筆者はこの恥ずかしいアイデアが、貧乏神の入れ知恵であることを問題にしたい。まともな厚労省官僚なら、雇用の不安定化や物価高で、日本では低所得層の栄養状態が深刻な問題になりつつあることを意識していないはずはないからだ(たぶん)。

政策の意図が「医療費の削減」にあることは明白だが、フィージビリティは限りなく低く、間違いなく行政の信用をさらに貶める結果となろう。マスコミも、対象は「デブ」だと考え、むしろ「滑稽な話題」として扱おうとしている。まったく甘い。貧乏神の怖さが分かっていない。貧乏神は号令する。「痩せよ!」 個人の「体形」への行政による介入(指導)を通じて、美食を価値とする食文化や食ビジネス、それに肥満型スポーツ(相撲、体重別競技など)にまで“節食”のプレッシャーがかかるかもしれない。“縮み思考”は中毒性があるのだ。

健康と安全に共通するところは、どちらもポジティブな定義ができないことだ。つまり、「病気あるいは虚弱でないこと」「脅威が限りなく低いこと」としか言えない。もっとも、前者については、WHOは「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態」と付け足してはいるが、これは「価値観の問題だから社会(個人)が決めなさい」と言っているのと同じだ。こういう世界は貧乏神が取り憑きやすい。

(頼みもしない分野で)国民生活に国家が介入する場合は、税金や戦争(時に両方)がからむのが通例だ。ナチス第三帝国は国民の「健康」を非常に重視し、禁煙を徹底し、体操を奨励し「不健康者」を物理的に排除した。肥満などは個人の選択の問題、というのが市民的自由の基本だ。もし本当に健康を気遣ってのことなら、ペナルティではなくインセンティブにするはずだろう。

ブリア=サヴァランの『美味礼讃』などを読むと、当時(19世紀初頭)は肥っていることが、とりあえず健康の目安とされ、ご婦人も「逆ダイエット」に心がけていたことを知る。「標準体型」は時代とともに変わる。少なくとも政府には決めて欲しくない。

Topics: 政治・経済・ビジネス, 近時片々(時論) | No Comments »

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