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EU経済帝国を考える(2):高福祉の技術的基盤

By Hiroki Kamata | 2008年 7月 27日

一時期、非常に評判が悪かった北欧流の“高福祉・高負担”モデルが、新自由主義の凋落とともに再び脚光を浴びている。高負担であろうと(もし欠陥を克服して成り立つならば)高福祉がいいことは言うまでもない。低福祉モデルは、つねにダイナミックな“機会”を提供し続けなければならないが、それについていける人間は多くはないし、市場はたえず生まれる“敗者”や、常時存在する“弱者”(その範囲は景気の循環とともに拡大と縮小を繰り返す)に親切なものではない。市場に背を向ける人間が多くなれば、国内市場は縮小し、社会の秩序は崩壊する。

高福祉モデルの問題点は、低賃金国に対して優位に立つことが出来なければ、これも崩壊するところにある。1980年代のヨーロッパはまさにそうだった。老後が保障され、恵まれすぎた労働者、寡占に安住した経営者が汗をかかないために、高コスト体質となり、競争に敗れ…というのがシカゴ学派的な解説で、サッチャー改革はそれを打破したとされている(米国をうまく利用した英国の“金融市場立国”の評価はもう少し時間がかかるだろうが)。1990年代には、高福祉モデルは過去のものとなったかに思われ、日本の「改革」も新自由主義的な色彩を帯びることとなった。

ところが高福祉モデルは、少なくとも北欧では完全復活し、フランスやドイツのような準大国でも基本路線となり、フィンランドなどの新たな成功例を加えている。EUが志向するのも、そうした“21世紀型の高福祉”ということであろう。何が旧モデルと違うかといえば、統合ヨーロッパの持つソフトパワー(多様性、インフラ、自由と人権、教育=人材)をベースに、ITを生かした産業技術の高度化を融合させることで、グローバルな競争にも勝てる体制を築きつつあることだろう。もちろん、周辺の低賃金地域を利用できる利点もある。かつてハイテクでは米国に、製造業では日本に後れを取っていたわけだが、最近のEUは、ITの応用に関して自信を持ちつつあるように思われる。

1990年代以来の欧州諸国の産業=社会再生のための努力について、日本ではほとんど注意を払われることはなかった。ITについても、米国だけに注目することが習慣化していたし、SAPやノキアのような、欧州出身の世界企業が登場しても変わらなかった。筆者について言えば、OMGの主要な標準化プロセスでの欧州人の活躍、「対テロ戦争」以後の米国内市場の不活性化と対比して、戦争が続けば米国のイニシアティブも凋落する可能性があるとはみていた。しかし、現実にEUの成果をみれば、驚かないでもない。

日本は「ものづくり」に過度の自信を持っている、と筆者は見ている。自信は結構だが、過信はいけない。まして、優れた技術を持ちながら、それをユーザーにとっての価値として実現しきれていない状況ではそうである。また、「もの」に対する市場のニーズ、意識が急速に変化するときに、従来の品質管理や開発力が空回りすることも懸念され始めている。ひと言で言えば、日本のものづくりに関わる「ソフトパワー」の問題である。これはコンセプトやデザインにおけるソフトと、組込みソフトウェアのソフトの2つを問題にしたい(続く)

Topics: エンジニアリング, 現代世界論 | No Comments »

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