EU経済帝国を考える(3):保守性と革新性
By Hiroki Kamata | 2008年 7月 29日
「ヨーロッパ人は議論好き。EUでは議論ばかりしていて何も決まらない」─これまで大方の日本人は、EUの「議論」の中身について何の関心も払ってこなかったと思う。しかし議論は時に実を結び、成果を生むこともある。複雑な歯車の噛み合わせ方が、努力と偶然によって発見された時だ。どうやら、EUはよい循環サイクルを動かし始めたようだ。

古来、市場(経済)が発展するには一定の“情報ドメイン”が必要となる。ドメインは、言語に始まり、暦、度量衡、貨幣、税制あたりまでが含まれるだろう。もちろん、国家としては治安や防衛機能(これも情報に基づく)は外せないし、市場を支える社会の精神的な一体性を維持するには道徳的理念も必要だ。市場は拡大を欲するが、情報ドメインが文化など異質性の壁を越えるのは容易ではないので、国民国家を超えた「帝国」のようなシステムが非常に大きな市場圏を保障するのは、例外的といっていいだろう。2つの大戦後のアメリカは、一種の「世界帝国」を実現した。20世紀はアメリカの世紀だった。アメリカの弱点は、バーチャルな帝国と現実の国民国家の間の矛盾から、「敵」を必要としたことだった。
絶対王政から国民国家を通じて、発展を続けながら戦争を止める有効なシステムを持てなかった欧州諸国は、20世紀に大きな挫折を経験した。日本も多くを失ったが、欧州とは比較にならない。1970年代に、米国中心の世界市場への依存のもとでの国民国家、福祉社会の限界を超える発展戦略を求められた欧州(とくに独仏)は、EUという新しい「経済帝国」を、じつに根気強く構築していった。議論が実を結んだわけだ。そのためには「理念」における合意がもとめられる。理念で合意できなければ個別の政策で合意できるわけがないからである。「理念」で合意するためには、相互の信頼と善意が前提となる。それは建設的な(しかし時間をかけた)議論を通じて生まれるだろう。
「大きな市場」では不十分だ。「消費者に利益」も「技術革新への適応」というのも、それだけでは説得力に欠ける。加盟国の国民の幸福や満足を保証するものでなければ、市場統合は意味がないことになる。合意形成のプロセスは、利害が複雑になるほど、あらゆるところで頓挫する可能性がある。一時的な扇動では複数の国の世論を同時に方向づけることは出来ない。言語の問題もあるから、コミュニケーションもおそろしく手間どる。だから、そうしたプロセスを進められたということが、それ自体で大きな成功といえる。リーダーの知的・道徳的レベルが高くないととてもできないし、そもそもそうしたリーダーを選ぶ社会も成熟してないと成り立たないわけだ。
欧州市民は基本的に保守的である。伝統に多くの価値を見出す。どうしても変えなければならないとすれば、価値ではなく方法だと思っている。また戦争にはまったく幻想を持っていない。EU経済帝国は、外交と防衛を優先する従来の国民国家のアイデアを逆転させ、市場を機能させるための情報ドメインにおける共同性を最優先し、外交、防衛、治安を“ローカル”な領域として設定したわけである。これは21世紀的現実に最も適応した現実的な発展モデルといえる。
日本の戦後モデルも外交、防衛を米国に委ねたが、自国市場を保護しつつアメリカ帝国の市場に吸着するという特殊なものだった。それが不可能になった現在、遅れて適応しようとした新自由主義も理念的に破綻し、米国市場も「世界の半分」から急速に縮小し、いまさら「ふつうの国民国家」にもなれないというアイデンティティの危機に直面している。日本はEUに加盟できないが、アジアないし環太平洋でEU的ドメインを志向する以外にないし、その際、儒教などは理念的基礎として有効であると思う。「アメリカンドリーム」が理念にならないことは確かである。
Topics: 政治・経済・ビジネス, 現代世界論 | No Comments »