現代の貧乏神:アメリカ式経営
By Hiroki Kamata | 2008年 8月 1日
組織における「人事」システム、そしてそれを前提としたビジネスプロセスや意思決定は、経営組織論の問題である以上に、組織観・社会観という文化的なコンテクストを反映したものとなるのは止むを得ない。どんな人間を、誰がどのようにして選抜するか、指導者とするかは、国ごとに、また時代によって違いがあるからだ。
問題は、グローバリゼーションの結果、上場企業のマネジメントに関しては万国共通の基準が適用されるようになったことだ。formalであることがほとんどの分野で求められるようになったが、「結果共有・連帯責任」で曲がりなりにも動いてきた社会(組織)に、コンプライアンス、株主重視、自己責任、能力主義といった、現実とはまったく異質なルールが適用されて大混乱が生じたのは当然だろう。これは一種の通告なき社会革命に等しい。
現実を変えずに(あるいは変える意志と方法論を持たずに)異質な原理だけを導入したらどうなるか。言葉が意味(信)を失って人々が無気力になるか、逆に社会的緊張が高まって暴走が起きるかのどちらかだろう。カリスマ的指導者がいると暴走が起きる(中国の文革のように)。日本はもともと言葉より組織(仲間)という文化だったので、賛成も抵抗もせずに無気力に陥ってしまった。日本の財産であった相互信頼を風化させる。これこそ貧乏神の戦略でなくてなんであろう。「失われた10年の後は失った10年」となるということを、たしか1年ほど前に堺屋太一が書いていたと思うが、「失った」ほうは確実に「アメリカ式」のせいだと思う。
例えば、“労働市場の自由化”や“能力主義”が適用された結果は、厚生労働省も指摘しているような、雇用の喪失と意欲の減退、帰属意識の荒廃だった。人間という実にむずかしい(つまりデリケートな)生き物をモノのように扱うとどうなるか。言われたようにだけ動く(ロボット化)、人間としてコワれてしまう(凶暴化)、非社会的な生き方を選択するようになる(原始化)の3つが可能性としてある。もちろん、要領よく動いて巨利を得る人間も出るだろうが、それとても非社会的という点では原始化と変わりない。
仏教では「一切虚仮」と言うが、人間は個々に安定した「実体」があるわけではなく、その情動や認識、発想、行動などは、非常に複雑な「状態」で決まる。古来の智恵はそうした「人間」を大切にしてきた。貧乏神の術中にはまらないためには、ルールや原理以前に、それらを既定の前提とせず、人間の「心」に働きかけるコミュニケーション(言葉)が必要だろう。プロセスやルールはITで可視化できるし、コントロールすることもできる。しかし、人間が心で動かす組織というものが最適化に向かって機能しなければ、工場のオートメーション以上に大きな問題を生じるだろう。
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