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一切皆空。これでいいのだ!

By Hiroki Kamata | 2008年 8月 8日

ソルジェニーツィン赤塚不二夫が相次いで亡くなった。冷戦期のロシアの「反体制作家」と高度成長期日本の「ギャグ漫画家」であり、メディアの扱いも、まさにレッテル通りのものだった。「ハァー、クーダラナイ、クーダラナイ!」

ソルジェニーツィンは政治的にどうあろうと(本質的には帝政主義者だったが)正統的なロシア文学の継承者である点に価値があり、赤塚漫画は「ギャグ」を通してまっとうで深遠な思想を展開した点に価値があると思う。作家が全体主義に対する政治的立場の故に評価されるのは、まだ冷戦的思考のままだということだろう。朝日も産経も、期せずして同じことを書いていた。こういう手合いこそ、軽く政治的立場を変えて、つねに「正しい」ポジションをとろうとするのだろう。

文学というものの価値は、人間についての多面的な「真実」をそれに相応しい文章で表現することであると思う。麻薬中毒であろうと、泥棒であろうと、軍国主義者であろうと、作家の価値は作品で評価するしかない。ソルジェニーツィンは民主主義や市場を信じていなかったが、人々の内面的自由と道徳性、文化的伝統を守るために、逆に「強いロシア」を求めた。それは、民主主義や市場じたいが「価値」であると考える連中には理解不能だろうが、ならば黙っていればいいことだ。

では漫画の価値は何か。まず面白いことだが、もっと重要なことは、それ以上のものでもありうることだ。赤塚不二夫や水木しげるは、漫画が偉大な思想を表現できることを示している。冗談でなく「これでいいのだ!」は「一切皆空」の最も優れた口語表現であると思う。「一切皆空」とはお釈迦様の四法印の一つ「一切皆苦」を突き抜けた悟り。空とは関数のようなもので、それ自体はナンセンスということだ。

赤塚は才能の迸るままにさまざまな「キャラクター」というより世界を創造し、とくに脇役が有名だったが、彼の世界にはもともと主役も脇役もなく、善玉も悪玉もなかった。一切皆空である。真のニヒリストはヒューマニストだが、赤塚はヒューマニストを超えて、すべての存在を肯定した。当為よりも無為を主張はしたが、彼も水木しげると同じく、じつによく働いた。そしてネコのニャロメも当為に生き、挫折を繰り返す存在であったように思う。

生きとし生けるものを愛し、本当に愛すべきものとして描くのは、もちろん凡夫には不可能であり、神(絶対者)か仏(覚者)の目線がなければならない。たぶん神ではないから、仏様だったのだろう。涅槃寂静。これでいいのだ。

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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