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男女機会不均等社会のスポーツ

By Hiroki Kamata | 2008年 8月 18日

オリンピックは、4年に一度のお祭りだが、スポーツ・ファンとして寂しいのは、TV中継が日本選手の出場種目、とくに「メダル種目」に偏る傾向が甚だしく、長い歴史を持つ競技(ほとんどの陸上競技)があまり見られなくなっていることだ。そして“日本種目”に関して言えば(北島を除いて)男子の不振と女子の活躍との対比が鮮やかだ。女子が堂々と世界レベルの勝負をしているものが多いのに対して、男子はプレッシャーに潰されたり、無策のまま惨敗したりで、勝敗を通り越してもつまらない試合が多すぎる。

日本は「男女機会不均等」社会で国際的に知られており、政治、経済、社会のリーダー層における女性の比率は、世界の中で最も少ない(「先進国中」とことわる必要もなく最悪)。このことと、オリンピックでの対比に関係はあるだろうか。たぶんあるだろう。スポーツはルールが明確で肩書も不要。審判の基準もまずまず平等の実力勝負。相手は日本のオトコではなく、世界の女性アスリートだから、勝つことでストレートに賞賛が得られる。待ち受ける「アイドル化」の罠にさえひっかからなければ、競技を通じて人格も知恵も磨かれる、ということではないかと思う。

とくに女子の競技でハイレベルなのは水泳シンクロ競技で、中国、スペインというメダル争いに絡む国を指導しているくらいだから、文字通り世界のトップレベルといえるわけだ。もちろんスポーツでも、競技団体のような政治の世界は、圧倒的に「機会不均等」で“オトコの壁”は厚い。しかし、海外で指導者となる道も発見できたから、気に入らなければどんどん出て行くことになるだろう。日本のオトコがこのままどんどん内向きになり、サッカーのように“惜敗”に逃げる、情けない姿をさらし続ければばどうなることか。

「機会不均等」社会の象徴である“紅一点主義”は、“マドンナ”とか“アイドル”という日本的妖怪を再生産してきた。日本で開催されるバレーボールの中継では、ママドル松田聖子嬢が太腿を「惜しげもなく」露わに謳い踊る。政界では大臣ポストの「女性枠」をめぐって、化粧の濃い先生方が妍を競う。純日本的な風景だが、伝統的なものではけっしてない。これはイデオロギー的な“男尊女卑”ではありえず、理由なき「機会不均等」社会で生じたものだ。実力と無関係にオトコが優先的に権力に居座る社会は、実力のないオトコが権力に居座る社会でもある。選手や社員はひたすら「頑張り」が求められ、最近は「結果」まで求められるが、上にいる人間は変わらない。

スポーツは最もダメージの少ない形で、日本の姿を映し出している。権力者(指導者)こそ最も実力が問われているのだ。

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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