現代の貧乏神:ばらまき!
By Hiroki Kamata | 2008年 8月 21日
資本主義の本質はばらまき(投資)にある。「ばらまき」なくして成長なし。国家は収奪とばらまき(配分)の両面を持つ。片面だけだと泥棒である。「ばらまき」なくして権力なし。権力の座にあるものが自信を失うと貧乏神に取り憑かれ、改革だ倹約だと大号令をかける。典型は天保の改革である。
もちろん「財政規律」がなくて良いわけはない。バランスシートとは無関係に「無駄遣い」はやめなくてはならない。しかし、ばらまきと妥当な投資との差は、中身を精査しないと分からない。専門家による多角的で実証的な議論が必要なのだが、「ばらまき!」というのは議論を封殺する効果があり、思考停止に陥る人が多い。「“財源”があるかないかだ」という人もいるが、これも、それだけでは利権屋の発想と区別できない。現在はあらゆる財源や非財源の中身を精査すべき時である(米軍への「思いやり予算」や「燃料代」などの財源は突如として出現する)。
赤字国債が出せない政府というのは、遣い方(能力、方法)に信用が置かれていないわけだから、交替するのが筋だろう。政府というのは「お殿様」ではなく「奢侈」をやって赤字を出しているわけではないのだ。倹約をして政府を守るのは、時代錯誤の筋違いである。行政における「改革」というのは、バランスシートを回復することではなく、マネジメント能力の向上、つまり成長を可能とする投資戦略と方法、体制でなければならなかったはずだ。
最近TVではあまり見かけない、リチャード・クー(野村総研・主任研究員)が、日経BizPlusで「リチャード・クーのKoo理Koo論」という連載コラムをやっているが、そこで「大恐慌もバランスシート不況だった」という記事を書いていた。大恐慌時も現在も、「企業が一斉に借金返済に回った」ことにより景気が悪くなった、と解説している。
その後のルーズベルト政権下でマネーサプライが伸びるが、それは最近の経済学界が言うように「流動性を供給したからマネーサプライが伸びた」のではなく、「政府がお金を借りたから、マネーサプライが伸びた」ということは、以前に見たグラフを見ても明らかである。この間、民間は全然おカネを借りておらずこれもちょうど、今の日本と同じである。
政府が借金をすることは悪くない。問題は政府に能力があるかどうか。ベンチャー投資家の立場で評価すべきだろう。現状で借金を減らし(つまり銀行に金を返し)ても、民間の投資意欲につながるわけはない。
Topics: 政治・経済・ビジネス, 近時片々(時論) | 1 Comment »
2011年 6月 19日 at 1:29 PM
たとえば120万円のトヨタカローラが一台売れるとその代金の中からまずセールスマンの歩合が支払われ、トヨタの労働者に賃金が、役員に報酬が、株主に配当が支払われる。次に下請け会社に部品代が支払われるがそれは下請け会社の誰かの収入と、鉄やプラスチックなどの原料代になる。その原材料費、たとえば鉄の代金は製鉄会社の誰かの収入と、鉄鉱石や石炭の代金に分解され、そのまた石炭の代金は石炭会社の誰かの収入になる。
つまり120万円はすべて、結局は誰かの収入になる。
このとき、売り上げは120万円だったがそれによって得られた収入が130万円になるなどということはないし、逆に110万円の収入しかもたらさないということもない。
商品の価格は収入の合計に等しい。
これはすべての商品についていえることだから、世界の全商品の価格の合計は世界の全収入の合計に等しい。
ここで120億ドルの商品と、したがって120億ドルの収入の対峙する世界を考える。
両者を120億ドルの金貨が媒介し、取引は年一回行われる。
どこからはじめてもよいのだが、まず「企業」に120億ドルの金貨があったとしよう。それは前年度の総売上である。
「企業」はそのうちから利潤の20億ドルを株主(地主)に支払い、100億ドルで労働者(農民)を雇う。「企業」は一年で120億ドルの商品(コメ)を生産し売りに出すが、買うのは「家計」(株主+労働者)である。利潤率20パーセントで、それは株主の手に入る。
「家計」が120億ドル(20億ドル+100億ドル)のすべてを商品の購入に支出すれば「企業」に120億ドルが還流し、「家計」はその商品を一年で消費する。これでもとの状態が回復され、次の一年の生産が始められる。
このとき10億ドルが使われずに甕に詰めて地中に埋められると(貯蓄)、「企業」には110億ドルしか還流しないことになる。すると「企業」が「家計」に支払うことのできる金額も110億ドルになり、「家計」は10億ドル貧しくなる。
貧しくなった「家計」の側では10億ドル分の商品(コメ)を変えない貧民・労働者が餓死するだろうが、その労働者を養うべき10億ドルの商品(コメ)は「企業」の倉庫で腐り始めている。
なぜこんな馬鹿なことが起こるかといえば10億ドルの金が溜め込まれてしまったからだ。
もしこのとき商品の側で少なくなった貨幣量に適応しようとして価格が下がると(120億ドルの商品を110億ドルの貨幣と交換する)、貨幣価値の上昇・すべての物価の下落(賃金も下落)という教科書どおりのデフレが始まってしまう。
だからはじめに貯蓄されてしまった10億ドルを何とかしなければいけない。
1 まずやらなければならないのはお金を貯めるだけで使わない人の手にはお金が行かない、とどまらないようなシステムを作らなければいけない。しかし政府は金持ち減税・消費税増税という真逆のことをやろうとしている。
2 理屈として一番単純なのは貯蓄を没収してそれを財源にして貧困対策(貧民にただで金を配るでもよい。貧民はその金で「企業」から売れ残っていた商品を買い、「企業」には10億ドルが還流する)をすることだが金持ちの抵抗があって実行は難しいかもしれない。
3 没収しない代わりに安い金利で借り受けてそれを財源にして貧困対策(貧民にただで金を配るでもよい)をしようとすると、国の借金は国が借金したことだからいつか返さなければならないなどと、本末転倒のお馬鹿なことを言う人が出てくる。(国債は国民が国に預金しているのだ)。貯蓄の全部を吸い上げるだけの国債を発行しなければいけない。
4 最後に、贋金を作るという裏技がある。10億ドル分の金貨を作るのは大変だが紙に「かね」と印刷して10億ドル分の紙幣を作ればインフレにもならず、デフレも退治でき、ただで10億ドルの収入を得ることができる。それを財源にして貧困対策(貧民にただで金を配るでもよい)をすればよいのだが、そんなことが日本銀行には難しいことらしい。
「死に金」という単語を目にするようになった。溜め込まれた貯蓄が生きた使われ方をしていないという意味らしいが、その金が溜め込まれてしまったために得られたはずの収入を失ってしまった貧民が世界の底辺で死んでいっている、そういう意味での死に金でもあるのだ。
なぜこうなのだろうか、というと、政府は本当は貧困やデフレを解決しないほうがよいと考えているのではないかと思われる。
海外で貧乏旅行をするとわかるが、貧しい国へ行くと私たちのような貧乏旅行者でもかなりの贅沢をすることができる。それならいっそ日本を貧乏人の住む貧乏な国にすれば、一部の金持ちはよりいっそうの贅沢な暮らしを味わえることになる。政府は一部の金持ちの利益を代表していて、日本を貧しい国にしようとしているのだろう。