カテゴリー

最近の投稿

ブログロール

フラット化しない世界

By Hiroki Kamata | 2008年 8月 28日

「東京の独り善がりは地方に対してだけでだけではなく、外国に対しても著しい。日本に入る外国の情報は、東京にある官庁かマスコミを通じたものに限られているため、多様性が乏しく慣例と思い込みで偏っている。」(堺屋太一「日本の格差は人脈、情報、地域の固定化で拡大している」週刊ダイヤモンド、8/30/08)

Webを通じて、欧米の膨大な情報源を利用できるようになってつくづく感じるのだが、ネット時代に入ってから、情報(コミュニケーション)の断絶は、むしろますます拡大しているように思えてならない。それはITの世界に限らず、政治、経済、社会、文化のすべてに及ぶ。「世界はフラット化した」と言った人間がいた。たしかにそうも言える。しかしそれが能天気に思える現実も広がっている。多くの人にとっては、逆に世界は見えにくくなり、人々は互いに結びつくどころか、ますます内に籠るようになっており、誤解と錯覚は大きくなっている。何かきっかけがあれば爆発しかねない、危険な情動が蓄積しているようだ。

これは、情報・コミュニケーション技術というものに対して、かつて筆者が抱いていた甘い期待を打ち砕く。FAXの登場、日本語ワープロ、パソコン通信、そしてDTP、マルチメディア、Web、ケータイ…と、受信や発信に利用できるメディアとツールは飛躍的に拡大してきたが、情報やコミュニケーションの質はリッチになったとはとても言えない。冒頭の引用にあるように、「多様性が乏しく慣例と思い込みで偏っている」のである。社会的に有用・貴重なものを含む洪水のような情報も、無関心という砂漠に吸収され、蒸発してしまう。なぜだろうか。

人は見たいものしか見ない。たぶん、安定的な世界像を通して日常的に受け取る以外の情報に関しては(たとえ見たとしても)非常に臆病で、時に拒絶的、あるいは不感症になるもののようだ。この「世界像」というのは、かなり厄介なもので、多くの人が「世界は一つ」だと思い込んでいるから始末が悪い。「世界」認識というのは、哲学の基本的テーマだが、100人いたら100とおりの「世界」ができるし、同じ人間でも一定しない。しかし、人と違っていると具合の悪いことが多いので、人々がメディアを使って無意識的にやることは、特定の「世界」像と同調することだ。その結果、受発信する情報はパターン化されたものが多くなる。コミュニケーションの密度が高くなるほどそうなるだろう。

地方は東京に同調しなければと考えている。東京は、その優越的地位を維持することを優先し、情報を「取捨選択」し、わかりやすく「歪曲」する。これに反する情報は、この構造にとって好ましくないから、主流から排除される。日本人にとって「世界」とは第一義的に「世間」のことで、人間関係、社会集団を含む概念。「通る」とか「通らない」などと、車検のようなものだ。この「世間」でやり取りされる情報が、さらに「慣例と思い込み」のフィルターで濾過されてくる。日本が残りの世界から取り残されていっているのは、この無数の「同調行動」の結果だと思う。個人、組織にとってのこうした最適行動は、日本全体で考えると、たいへん危険な行動と言える。ドラッカーの言う「リスクを負わないことによるリスク」だ。

これまでのところ、Webがむしろ多様性を弱めたとすれば、どうすれば(敗戦などのハードリセットなしに)意味のある、創造的なコミュニケーションを構築していけるか。やはり答は情報技術の中に求めたい。

Topics: 今日のひと言, 現代世界論 | No Comments »

採点をお願いします。


コメントはこちらへ