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市場の野蛮性と創造性 (1)

By Hiroki Kamata | 2008年 9月 8日

大昔には経済学を志したこともあったほどで、経済や経済学への関心は強かった。最近、佐藤 優(「起訴休職中外務事務官」)の連載「物語としての経済学-宇野弘蔵『経済学』を読み解く」という文章を読んで非常によい刺激を受けた。最近の経済現象は、マクロ経済学より『資本論』のほうが合理的な説明になっていると感じていたからだ。テクノロジーというものについて、少し考えを深められるような気がしてきた。

一時は新しい教条のように喧伝された「市場主義」の評判がすこぶる悪い。もともと市場に任せれば資源の最適配分が約束される、などというのは事実で立証されたことがない信仰にすぎないのだが、世紀末の日本は「失われた十年」からの脱出の特効薬を求めていた。それに不合理な規制が多すぎた。社会主義崩壊後のロシアのようなものだ。
しかし、現実に「市場主義」がもたらしたことを要約するなら、それは急激な雇用の崩壊と地方経済の空洞化、そしてその結果としての「国内市場の崩壊」だった。労働生産性はまったく上昇せず、分配率が低下する、最悪の事態が起きてしまったわけだ。「改革の果実」などは、「ねずみ男」ファンドや怪ベンチャー、派遣業などに持っていかれた。輸出市場の好調と中国からの輸入デフレによって、じつにささやかな成長率が持続(いわゆる「戦後最長の景気」)したのだが、国内市場は痩せ衰えていた。米国で90年代に起きた「ニューエコノミー」現象も起きなかった。

ITによるイノベーションの可能性があったにもかかわらず、なぜ生産性の上昇が起きなかったのか? なぜ急速に「非正規化」が進行し、多くの人々が安定した雇用(安定しないものは雇用と言わないが)を失い、それと同時に明日の生活のプランを持てなくなったのか? 筆者は技術革新による持続的な成長は、日本にとって絶対に必要だと考えている。それだけに、21世紀の最初の8年間に起きてしまったことを深刻に考えないわけにはいかない。

ITは、そのままでは技術革新も成長ももたらさなかった。その理由は次のようなものだと考えられる。

  1. ITが直接もたらすものは、機械化による労働の単純化である。
  2. 単純労働は、海外や非正規労働者にアウトソースされる
  3. 国内雇用が減少、所得が低下し、国内経済のエコシステムが空洞化する
  4. 財政は改善せず、再分配は機能を低下させ地域経済が委縮する
  5. 労働の再生産も困難になり人口も減少する
  6. 結果として市場が委縮し、輸出依存が高まり
  7. 国内への再投資がされず国富はさらに流出する

問題は最初の「労働の単純化」だろう。ITは間接部門やサービス業の生産性を高めると考えられていたが、ホワイトカラーの雇用を長期的に減少させただけで、労働による付加価値は必ずしも向上しなかった。「いずれ機械化される」「誰でも出来る」労働力商品なら価格(賃金)は低下するしかない。

MITのオーター準教授の研究によれば、米国では1980年代から定型的な事務労働をコンピュータが代替していった結果、「抽象思考が必要な仕事」をする(高賃金)労働者とコンピュータにも機械にも代替させにくい「労働集約的な仕事」をする(低賃金)労働者に分化し、中間層が空洞化しつつある、という。(拙稿、「抽象思考の価値評価」、および同「」を参照)

抽象思考を嫌う日本では高賃金労働者は生まれなかった一方で、中流は時間をかけながら確実に低賃金労働者にに没落していった、ということだろうか。「名ばかり管理職」の増加は、その象徴である。これは必然のように見えるが、そうではないと思う。雇用を守り、労働の創造性を高めるためにITを使うことも不可能ではなかった。それがなければ、日本の明日に希望はない。

初期資本主義は、じつは近代とは名ばかりの「野蛮」そのものだった。産業革命によって農民や手工業者は没落し、貧困に投げ出された。12時間労働制や児童労働禁止という「規制」を導入した英国工場法は19世紀。資本主義が成熟し、労働者を「消費者」として評価するようになったのは、世界戦争と社会主義革命を経て、20世紀も後半に入ってからのことだ。技術革新はそのままでは「社会性」をもたない。ITにしても同じことで、消費者としての労働者の生活を安定させることで持続的な成長を可能にするには、市場に任せていてはできないのである。

Topics: 政治・経済・ビジネス | No Comments »

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