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ポスト・グローバリゼーションの引き籠り現象

By Hiroki Kamata | 2008年 9月 13日

この20年間で、世界の有効労働人口が4倍になったという。統計では、商品経済から遠いところにいた膨大な人々が、労働力を商品として財貨と交換する市場に入ってきた。商品、資本、技術それに商品化した労働が、国境を越えて移動した。この「グローバリぜーション」は、これまで肯定的あるいは必然的なものとして受け止められてきた。何度でもチャレンジして、ダイナミックな競争的世界で勝ち組となればいいのだと(こいつにだけは言われたくない、という人間に)ずいぶん言われたものだ。

どっこい。資本主義を甘くみてはいけない。規制を解かれた資本主義は、金融とともに暴走し、暴力化した。カネを持っている連中は、イノベーションなど本気で信じていない。日本では、一部の多国籍企業や派遣業など以外の多くの人々が「負け組」に入ったようで、中小事業者や労働者は貧困化し、市場の主役の座から追われた。大衆消費社会の没落である。日本政府は40兆円あまりの国費を注ぎ込んで銀行を救ったが、現在、銀行は黒字企業を倒産させてでも、国内の産業金融よりも、海外の金融市場に資金を向けている。「市場原理」に反して政府が介入した結果が、これだ。企業も技術や市場に期待せず、手持ちの資金で自社株を買っている。ミクロには最適な資源配分が、マクロには市場を壊す方向に働く。

グローバリゼーションによって、極度の不安と緊張、疲労、無力感が、あちこちに生まれた。じつは日本だけではない。市場の暴力性に対する反応は、神経症的になる。引き籠りと攻撃衝動である。アメリカ大統領選挙の共和党のスタイルをみていると、この2つのメッセージが交互に出てくる。引き籠りは伝統的価値(信仰・家族・自助)への回帰、そしてそれを脅かすもの(本当はグローバリゼーションなのだが)の象徴としてのイスラム原理主義テロリストとの聖戦。孤独なる「最高司令官=大統領」。

これはイスラム原理主義と同じく「負け組」の思想(幻影)である。考えてみれば、20世紀の2つの世界大戦も、市場の暴力性に対する神経症的・暴力的衝動から生まれたもののように思える。グローバリゼーション(市場の越境的拡大)が制御不能なまでに行き過ぎると、必ず原理主義反動(復古・純化主義)が生まれる。

「大相撲」も同じこと。ガイジンばかりが優勝し、上位を占める現実に、多くの日本人が、これは何か(現実)の象徴のように感じている。相撲は柔道と同じく、伝統文化で神事(そうでない現実に目をつぶればだが)。それがガイジンによる「大麻汚染」である。考えてみれば、大麻の個人的服用はドーピングとは違うし、拳銃密輸や傷害致死などより重大ということではないのだが、ともかく頭に血が昇ると制御がきかないのが、この純化主義の特徴だ。説明不要(問答無用)。

大麻による解雇の当否は、法廷で判断されることになりそうだ。そもそも「解雇」されたのは従業員だったからで、犯罪性のない(あるいは立証困難な)事案について、本人の弁明もろくに聞かずに前例のない処分を下せば、人権が尊重される国なら問題となるはずだ。しかし「相撲ファン」は人権以上に守るべき価値があるのだと主張したいのだろう。裁判所はグローバルとローカルの、どちらの原理を採用するのだろうか。

 

Topics: 現代世界論, 近時片々(時論) | No Comments »

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