TBTFの神話:銀行は護る価値があるか?
By Hiroki Kamata | 2008年 10月 17日
金融機関の破綻が乗数的に経済全体を悪化させるという説が強いが、日本の失われた10年の経験からすると、そのような主張の根拠は乏しいようだ。
金融危機に絡んで(証明されていないという意味で)ほとんど信仰のように語られることに、TBTF (Too Big To Fail)というのがある。「大きすぎて潰せない」というものだが、過去の日本では、北海道拓殖銀行と山一證券で線が引かれ、そこから上が救済(資金注入/一時国有化)の対象になった。米国ではリーマンが潰され、AIGは一時国有化で護られた。しかし、それが正しかったかどうか。
10月14日の日経BIZ+PLUSの原田 泰氏のコラム「金融機関の破綻は負の乗数効果を持つのか」は、そうした意味で非常に興味深い。北海道で圧倒的な力(全貸出の2割)を持った北拓の清算の前後で、北海道の経済は最悪状態から、少なくとも全国平均の水準に回復している。断末魔の悪あがきで「貸し剥がし」をしていた銀行が退場したことで、キャッシュの余裕があった健全企業がその被害に遭わないで済んだ、と解釈される。つまり、金融システム(機能)は重要だが、金融機関は(大小にかかわらず)重要ではない、と考えるべきなのだ。
ポイントは、金融システムそのものと、見掛け上区別しにくい「不良大手金融機関」を切り離すことだろう。本業を離れ、簿外で“ギャンブル”をやっていた金融機関を救済するいわれはない(一時的に「収公」するのは仕方ないが)。本業部分を不良金融機関から引き剥がすべきだし、それがやれないと金融の暴走(強欲)のツケを実体経済がすべて負担することになり、恐慌・不況の影響が長引く。日本では、貸出しを減らしたまま、国内市場を縮小させてしまった。いったん政府の支配下に入った銀行は、猛烈な勢いで市場からキャッシュを吸収し、さらに企業活動や不動産などの「実体経済」から容赦なく現金化しようとする。銀行はゼロ金利で護られて傷まず、預金は傷む。国内市場(企業活動・消費活動)の破壊である。これで景気が悪くならないはずはない。
日本の「失われた10年」が21世紀に入っても終わらなかったのは、金融機関を救い、金融システムを機能不全のまま放置したためだと思われる。「痛みを伴う改革」は国内市場の傷みをさらに広げた。だいたい、非正規雇用と名ばかり管理職、年金老人が相当な割合を占める市場に未来はない。モラルもモラールも崩壊するのは当然だろう。「効率が悪い」と「諸悪の根源」扱いにされた郵貯・簡保の価値は、不況期にこそ高まるはずでなかったか。金融の多様性という意味で、「実体経済」に密着した公的金融サービスは、むしろ好ましい存在である。国民にとってのの安全な資産、そして国が使える金が300兆円もあったらどうだろう。これこそ「改革」がぶっ壊したものなのだ。
「民を尊しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。」(孟子)
資本主義で最も重視すべきは、「民」にほんとうの価値を生み出す実体経済である。社稷(市場)はそのためにあり、「君」(金融機関)などは軽い。この関係を逆にすると、社稷は傷み、「民」は貧困化する。『蟹工船』がベストセラーになるわけだ。
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