「ぶらさがり」ジャーナリズムの威力
By Hiroki Kamata | 2008年 10月 23日
「してるって。現実にはしてるって言われているから、俺。だから うちはこねーでくれって。ホテルが一番言われないんですよ」
字数制限のないWebでは、かなりのナマ情報が流されるようになったが、いつも感心するのは、産経ニュースのナマ発言書き起こし記事だ。東西の「暴言知事」はすこし食傷気味だが、昨日の【麻生首相ぶらさがり詳報】「ホテルのバーは安全で安い」には、思わず唸ってしまった。
大のオトナが高級店に行こうが歌舞伎町に行こうが、どうでもいいこと。家に帰ってすることがないんだろう。酒豪の中川大臣と連日ハシゴしたっていいじゃないの。いまさら「庶民感覚」を売り物にされても困る。しかし、仮にも官邸にあっては、身は政府を代表し、記者には「国民の代表」として、相応の敬意を持って話すことが、少なくともまともな国では、必要とされている。権力者が「逆ギレ」などすれば、必ず応報はあると覚悟すべきだろう。「一寸の虫にも五分の魂」。
ナマの感情が入った発言は、いかに見事な描写、要約も原意や雰囲気を十分には伝えない(例えば同じ産経の記事)。ビデオもいいが、ホット過ぎる。テキスト化されることで誰でも分析がしやすくなる。聞き違え、繰り返し、言い間違え、タメ口、威嚇、怒声…ふだん活字にならないものを、クールに読めるのはすばらしい。ふだん他人の原稿を読んでいる人間の「肉声」は貴重だ。それに、録音を聴き返しながら、一言も逃すまいとパチパチ打ち込む記者の姿を思い浮かべると、プロのタマシイを感じて感動してしまう。自分にぶつけられた言葉を読者に共有してほしい、という気持ちは報道の原点だ。
それにしても「教育」を重視するという政治家に限って、まともな言葉を使えないのはなぜだろう(「日教組の教育」の犠牲者か)。この国は、上に行くほど礼を知らず(非礼)、ものを知らない(無知)、ユーモアもない(無教養)、というのでは文明国ではない。もちろん、国際社会における地位など望むべくもない。字を読まないから、新聞は大嫌い。法律など考えたこともないから、衆議院解散は「自分が」決められると思い込む。無知は力なのだろうか。解散は現憲法下でも「天皇の国事行為」に属し、内閣は「助言と承認」ができるだけなのだ(例によって内容には諸説あるが)。「臣シゲル」の孫にしては、まことに上を恐れぬ、というしかない。先は長くないだろう。
ちなみに、夜10時を過ぎてからの高級ホテルのバーは、たしかにいい。世間が思うほど高くはない。ちゃんとしたバーテンダーもいる。いつか私も行きたい。
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