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親方は「絶対的存在」か?:相撲部屋と市民社会

By Hiroki Kamata | 2008年 12月 18日

「絶対的存在の親方の指示が最も大きいことは明らか」(判決理由)ということで猶予刑となった時津風部屋暴行死事件だが、司法が相撲部屋の親方を「絶対的存在」と認定したのは、文明国として奇妙なこと。「絶対的」ということは、こういう社会とは別のルールを持つ小世界の中では、個人の自由意志は制限される(から責任は軽い)と認めることになる。
被告は若年とはいえ、自分の意志があったはずで、拒否することも、告発することも、あるいは脱走することも出来た。教育がそういう分別を教えていないとすれば、これも文明国としての価値観ではない。「上の命令には従え」とだけ教えているのだろうか。まるで「BC級戦犯」の話を繰り返しているようで悲しくなる。「上の命令」で情状酌量するということは、被告の心情を理解しながら、社会性(正義)を軽視している。「上」は、親分であったり、上司であったりする。合法的組織における反社会的命令は、むしろ拒否しても制裁を回避できる可能性は高いのだから、責任は軽くならないだろう(いや相撲であればこそ、責任は重いんではなかったの?)。

文明国は、教育によって「正義」を周知徹底させ、反社会的な行為に対しては、自由意志による選択を前提として、容赦なく重罰を科す(暴力は大麻とはわけが違う)。とはいえ、裁判長の判断は日本の常識でもある(つまり欧米人へは説明困難であり、「危険な民族」とみられるだろう)。被告の青年の意識空間では、たしかに「親方は絶対的」で、生命や人権よりも優先されるものだったのだろう。ここでは意識における「関心の分離」あるいは局限化がある。おそらくテロリストや経済犯罪など、普通の人間の犯罪の多くには、この局限化があると思う。法廷が無数の「閉空間の絶対性」を認める限り、市民社会は相対的存在であるのを免れない。日本の組織の多くは相撲部屋なのだから。  (12/18/2008)

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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