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日比谷公園の「賢人」たち:猫哲学論考

By Hiroki Kamata | 2008年 12月 30日

今年最初のブログ記事は「『猫年』再び!?」というものだった。世の中は、陰陽二極のように、犬性と猫性が拮抗してこそ社会は健全であるからして、「今年は正しい犬文化の再建の第一歩としたいものである。」と書いた。現実には、2008年も猫年となった。相変わらず書店もネットも猫だらけ、猫駅長が赤字ローカル線を救い、公園ではホームレスの心と身体を暖めている。大活躍と言っていい。

日本的な組織は「非正規」や「名ばかり」によって空洞化した。ムラを失った多くの人々は、野良猫のように、あるいは野良猫とともに、日々の食と暖を確保しつつ、生物としての自立(自由)の根拠を獲得しつつあるように思える。日比谷公園の猫は、無慮数百匹に達するそうで、とくに音楽堂側に多いと聞いた。管理事務所は避妊手術を施し、耳の先を直線的にカットして目印に(公認)しているらしい。猫に話しかける人も少なくない。もちろん、名刺代わりにキャットフードや猫じゃらしまで持参するのを忘れない。中高年男性とOLの姿が目立つが、猫たちはそうした人の話を聞いてやり、じゃれついたりして遊ぶ。時にはそれにカラスも加わる。みな驚くほど肥えている。10キロを超えるのもざらだ。

人々が野良猫にもとめる「癒し」は逞しさ。独立自尊、連帯を求めず、孤立も恐れないが、人の孤独を思いやるかのような慈愛の表情を垣間見せる。野良猫はじつは野生猫でもあり、人からの援助を必ずしも必要としない。しかし、彼らは孤独な魂を掴み、毎日でも会いに来たくさせる催眠術のようなテクニックを磨いてきた。またホームレスとは段ボールに同居している。人は猫を通じて、厳しい世の中を生きる力を受け取り、孤独(自立)の中からしか学ぶことができない、哲学する心を育てることができる。

社会を再建する犬的リーダーはなかなか現れない。アメリカでは危機のさ中に優秀なリーダーが次々と登場している。無理もない。あちらは多種多様な人材を世界から吸収する「帝国」であり、日本は「大将の器量・器用」などを必要としない(非サムライ的)社会であったのだから。どこかにそうした人材が淘汰されずに残っていることを期待するが、とりあえずは公園の賢人たちから哲学を学ぶしかないようだ。 (12/29/2008)

Topics: 近時片々(時論) | No Comments »

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