哲学は「脳科学」から心を守れるか:『暴走する脳科学』を読む
By Hiroki Kamata | 2009年 1月 2日
昨今は、画面とペーパーばかり読んで本はあまり読めていない。その中の1冊なのだが、『暴走する脳科学─哲学・倫理学からの批判的検討』(河野哲也著、光文社新書)は、とても勉強になった。
著者は1963年生まれの哲学者(立教大学教授)。「科学者は疑似科学や似非科学への注意の喚起を行う社会的義務があるはずである。」という著者には、旧世代に多かった理系コンプレックスはまったく感じられず。それがまず嬉しい。最新の研究動向と評価、各種論争の論点も手際よく整理されており、非常に読み易い。だが最もスリリングなのは、著者の本領である「心」と「自由意志」─哲学の根本問題であると同時に、脳との境界に存在する問題─から切り込んでいることである。「アフォーダンス」については多少聞き齧ってはいたが、「心は社会的存在である」というテーゼは目から鱗だった。これは多くの問題を解くカギになると思う。Webがソーシャルネットワーキングに向かう時に、「社会的存在としての心」がどうなるかは、大きなテーマでもある。
筆者は不勉強なので、本書の様々な部分に教えられるところが多かった。「あらゆる問題を内面の問題として、不健全な形で人々を自己コントロールに向かわせる」心理主義についての指摘もその一つだ。環境や社会を変えるという、人間の「自由意志」を社会化する契機が失われたら、社会は長期衰退に入る(すでに人口減という形で表れている)。脳科学は心理主義の土壌に入り込み易いだろう。
「脳科学」は、世間が考えるような科学ではない*。脳に対する科学的アプローチ(による知識)を総称してこう呼ぶことは間違いではないが、現実には科学よりも技術の話が大部分で、科学の部分から一足飛びに「実利」に結びつけようとする危うさがある。最近のブームで「脳科学者」があちこちに登場して発言するが、専門性は皆無に近い。つまり、専門知識が非科学的に取り扱われていることが、私のような素人にも分かる。バカバカしいと笑えるものも多いが(たとえば『バカの壁』)、見過ごせないのは、科学を偽装し、次々と登場してくる「脳テクノロジー」だ。宗教の権威がなく、「文系」と「理系」が断絶する日本は、ほとんど無防備だ。大不況の心理的ストレスは、あのドイツ人を狂わせたくらいだから、「脳科学」が暴走する恐れは十分にある。
放っておけば「脳科学」は、おそらく「心理学」と同じくらい、あるいはそれ以上の存在になるだろう。教育や医療、能力開発、治安など様々な理由で、脳は「走査」され、「拡張」され、あるいは「操作」されることになる。それによって確実に壊されるのは「心」だ。 (01/02/2008)
- 日本の教育では科学と技術、工学の違いを教えることはないが、少なくとも米国では中学以上で教えており、筆者も知人がテクノロジーの教科書を書いていたのを読んだ(たとえば以下)。「技術大国」という割に、技術とは何かを考えさせないのが、日本の教育の最大の問題点の一つだと思う。それにより、「現実的問題を解決するために知識、道具、技能を利用すること」というテクノロジーの本旨を外れて、「ハイテク」が空回りしてしまうからだ。
Introduction to Design and Technology, by Ronald D. Todd, et. al., Thomson Learning Tools, 1996
Understanding & Using Technology, by Ronald D. Todd, McCrory, Davis Publications, 1999
Topics: 書評(本・新聞・ブログ) | No Comments »