ハリウッドとビッグスリー:市場は創造的か?
By Hiroki Kamata | 2009年 1月 2日
「陰るハリウッド・ビジネス」と「『ボリウッド』花盛り」という朝日の連載記事(1/1)を読んで米国ビッグスリーを連想した。ハリウッドの陰りは、直接的にはカネ詰まりと製作費の高騰だが、それは収益性の高い大型車に依存したビッグスリーを思わせるものがある。そして「ローリスク、ハイリターン」という市場の無理難題が創造性を縛っている。
「天人五衰」の苦悩
成功者にはそれぞれ得意技や勝ちパターンといったものがあるが、ひたすら改善を続けて一世代もたてば、それ以外のモデルは考えないようになり、二世代も続けば、考えようとしても考えられなくなる。三世代目になると、失敗が目立つようになるが、失敗事業を切り捨ててますます得意分野に固執する。最初の世代はライバルがほとんど存在せず、次の世代は徹底的に研究を重ねたライバルが現れ、三世代目にはライバルに水をあけられる。ビッグスリーもハリウッドも、同じころに成立し、同じころに世界的なビジネスとして確立した。どちらも、強力なマネジメントが特徴であり、エンジニアリングの域にまで高めた。優秀な人材を集め、非常に長持ちしたほうだと思う。先に凋落を始めたのはビッグスリーのほうだが、扱うもの(自動車)が現代文明の戦略的な商品だからだろう。
現在のハリウッドの陰りの理由は、構造的には次のようなものだろう。
・世界市場でのアメリカの文化的優位の低下(ローカル化)
・映画製作のテクノロジーが全世界に普及した(グローバル化)
・企画・製作力の低下(パターン化)の結果としての「大作」主義の悪循環
・80年代以降の「恐怖」「暴力」への傾斜
かつてハリウッドは、パターン化(マンネリ化)の危機を、新しい才能に場を提供することで乗り切ってきた。30年代にはヨーロッパから多くの流出人材を集め、60年代前半の危機を新世代に託して乗り切った。「夢」や「冒険」のスピルバーグもすでに老いた(マドフ氏に騙された被害者リストに載っていた)。そもそも最近の映画では、何の冒険もしていない。「2000万ドルクラブ」と呼ばれるスーパースターたちは、スポーツのトッププレーヤーほどの超人性も発揮していないし、毎週のように興奮させてくれるわけでもない。しかも彼らの存在は次の世代の登場を阻んでいる。
ローリスク、ハイリターンの罠
結局、ここでも市場主義の限界が露呈している。高収益はハイリスクを伴うが、投資家はつねにローリスク、ハイリターンという無理を要求する。成功した脚本、オールスター・キャストで大作を企画し、証券化してカネを集める。ハイコスト、ローリスクでハイリターンというのは、かなり難しいが、それでも一部は成功する。そしてそれが悪循環のもととなる。ビッグスリーの大型SUVも同じことだった。アメリカ人は大きな車が好きだ(あそこに行ったら誰でも好きになると思うが)。ビッグスリーにとっては、小型車はハイリスク、ローリターンで、成功の確率は低かった。小型(高度な量産技術)のノウハウで大型は生産できるが、逆は無理だ。苦手のものを避けていると「世界最強」もどんどん錆ついてくる。苦手に挑戦する人材と技術が集まらなくなるからだ。
無理な要求にまともに答えようとすると、長期的な成長を犠牲にするか、投資家に嘘をつくか、どちらかしかない。長期的には株価は下がり、経営陣や労働組合まで攻撃される。最後には「市場から退場」まで言われることになる。経営者が弱ければ、株主は企業にとって敵ともなりうるのが、市場の怖いところだ。単純に市場がイノベーションをもたらすなどと信じてはいけない。人材と技術、そして挑戦は、基本的には市場(つまり投資家のビュー)の外にあるものだ。市場の言うことを聞いていたら、市場の期待には答えられない。
ところで、ハリウッドは復活するだろうか。それに答えるには、筆者はあまりに映画を見ていない。(日本は新聞と映画は恐ろしく高い) (01/02/2008)
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