カテゴリー

最近の投稿

ブログロール

オバマ就任演説における「言葉の力」

By Hiroki Kamata | 2009年 1月 21日

深夜のセレモニーだったが、北京オリンピック以上の出来だったと思う。深い傷を負った社会が、それを徹底して見つめ、建国以来の神話と重ね合わせることで、人々の「社会的意識」の中で癒され、力に変わる瞬間が感じられた。厳粛で感動的。社会の隅々、世界の果てまで周到な目配りの利いた演説であり、若いスピーチライターとオバマの協力による傑作だと思う。選挙の勝利の原動力となったウェブサイトは、まだ情報を発信し続けており、それ以上に人々の声を集め、結びつけている。200万人とも言われる人々の貌を見て、あらためてこの国の底力が感じられた。

20分あまりの内容を暗記して話せる能力は、アメリカの政治家ならたいてい持っているが、昨夜のような内容にリアリティを感じさせることは、やはりオバマという「最も非アメリカ的なアメリカ人」あるいは「最もアメリカ的な非アメリカ人」にしてなせる業だ。スピーチライターを必要とするのは、全体を通しての一貫したストーリーの中に政策課題や政治姿勢を埋め込み、個々の内容と要素、表現とレトリックを徹底して吟味するためである。本人は、ライターやブレーンスタッフと議論することによって、長い文章を自分の言葉にしていくわけだが、オバマは特別念入りにやっている感じがする。

大国を統治するのは、基本的に言葉によるしかない。外交においても同じである。それだけに「ライター」が重視される。日本でライターや弁論術が軽視されるのは、言葉しかないほどの政治の空間がなかったことによるのだろう。しかし、戦国時代から江戸までを通してみると、言葉も文字も重要な意味を持っており、僧侶が言語のスペシャリストとして活動したこともある。皮肉なことに、「民主主義」が輸入されて以来、日本の言語活動のレベルは低下する一方ではなかったか。言論があるのは「言論の自由」が保証されるからではない(自由がなくても言論はある)。社会が言論を重視し、言論が社会を重視するからだ。日本でも、昔の政治家は言葉に重みがあった。

それにしても、政界を中心に、日本には「オバマ新大統領」にシラケた空気が漂っているように感じられる。壮大な「民主主義のショウ」を見せつけられたからだろうか。まさかと思っていた「黒人」が「同盟国」の最高権力者となったことへの戸惑いだろうか。 (01/21/2009)

Topics: 政治・経済・ビジネス | No Comments »

採点をお願いします。


コメントはこちらへ