違う国との「特別な関係」:最後の大物大使の述懐
By Hiroki Kamata | 2009年 2月 2日
「日本と米国はとても違う国である。文化そして国がよって立つシステムも全く違う。それでも双方の国で輩出される政治家、官僚、そして国民はこの特別な関係の意味をよく理解し、多くの新しい歴史を重ね、友情を積み上げてきた。…」 (ハワード・H・ベーカー・ジュニア元駐日大使 『私の履歴書』日経新聞連載最終回より)
共和党上院院内総務やレーガン政権首席補佐官を務めた、この傑出した政治家の「履歴書」は、万事に遺漏のない、いささか(行間を読み取れない読者には)退屈な文章が続く。かつて大統領を志し、政治・外交の裏と表を知る人から、もしかして聞けるかと期待したことは外された。そのかわり、最後から2つ目のセンテンスは、がらりと違う印象を与える。習慣的には、日本のが最初に外国と正式国交を樹立した日米和親条約(1854)以来150年にわたる関係、大戦を経て民主主義を導入して以降の密接な関係を賛美し、同盟の絆を確認して終わるはずだ。しかしこの人は、「共通の価値観」ではなくむしろ違いを強調し、「国がよって立つシステムも全く違う」とさえ言い切っている。
「国がよって立つシステム」は、政治システム、経済(市場)のしくみ、社会慣習と法体系、組織運営、問題解決の仕組み、などを意味する。これらが「全く違う」というのだ。中国でも韓国でもない日本。しかも、小泉政権が「日本的」な旧制度を米国式に「改革」したと言われたまさにその時代を目撃していたにもかかわらず、である。この人の眼は違いをよく見抜いているし、それだけに「特別な関係」が、けっして共通性から生まれる親近感や利害一致などで自然に生まれるわけではない、利害と勘違いの微妙なバランスにたった同床異夢の「特別な関係」だということを理解している。しかもわざわざ書き残してくれた。流石というべきだろう。
筆者自身、日本と米国の間で仕事をし、両方に親友を持って長いが、日本は米国の後を追っているのだから、文化はともかくシステムはかなり接近してくるのではないかと、昔は考えてきた。日本ほどアメリカ発のコンセプトを受け容れる国はない。時間はかかっても、そして好むと好まざるとにかかわらずいつかは…と考えていたのである。しかし、最近では、それはまったくの幻想であると思う。真似しても、似て非なるものにしかならない。それは日本が日本である部分なのだろう。ベーカー・ジュニア元大使の言葉は重たいと感じる。
米国の大使は、政治と外交に通じ、国家戦略を体現できる「大物」と、大統領の友人や献金者など、元首の名代たる「大使閣下」の名誉を与え(得)たい人物に大別される。ベーカー氏の後任のシーファー大使は後者である。ベーカー氏は言う。日本と米国の関係は大地に根を下ろし成熟しつつあるのだから「政治的な『大物』を大使に起用するという方法でこの関係を強化する必要はもうない」と。この「大物」は、おそらく日本の指導者との交渉や対話、さまざまな交流を通じて、戦略的外交を展開しようというつもりで着任したのだろう。共和党の重鎮としての最後の名誉としてのポストとは考えなかった。しかし、活動しているうちに、「相手」がはっきりしないこの国では通常の意味での外交は機能しないこと、日米の「よって立つシステム」の違いを理解し、慎重にケアしていく以外にないことを発見したのだと思う。
とはいえ、日本は大使の「格」を最重視する国だ。ベーカー氏は間違いなく最大の「大物」大使であり、それだけでも対応は変わってきたはずだ。つまり共和党穏健派の重鎮を米国に置かず、日本に送ることでチェイニー副大統領の深謀は達成され、小泉氏の仕事もはかどったということになる。好人物の(印象を与えた)シーファー前大使が、日本の政治に振り回されたのとは違う。やっぱり「顔」はものを言うのだ。ただ「顔」だけでない頭脳の持ち主としては、もっと仕事らしい仕事をしたかったのだろう。 (02/01/2009)
Topics: 今日のひと言 | 2 Comments »
2009年 3月 17日 at 4:39 AM
[...] 以前、ベーカー元駐日大使の「とても違う国」というコメントを紹介したが、これまで米国の政権は、日本の(とくに中国と並ぶ一党長期政権の)異質性を強く意識しながら、基本的に [...]
2009年 5月 22日 at 3:27 AM
[...] 思えば、申し分のない「大物」であったハワード・ベーカー元大使のこの言葉だ(拙稿参照)。「日本と米国の関係は大地に根を下ろし成熟しつつあるのだから「政治的な『大物』を大 [...]