電子出版2.0+ 事始め:出版はなぜ儲からないのか?
By Hiroki Kamata | 2009年 4月 3日
前回は、本がどれだけ「偉い」か、ということをお話しした。しかし、市場的価値観の下では「売れた」ものだけが評価され、企画会議でも「とにかく売れないものはダメ」となる。しかし売れると信じて出したものでも、それほど確率が上がるわけではない。一般商品と同じく、出版物のヒットにも法則などはないからだ。かくして、いかに努力しても返本と赤字は積み上がる。そこでビジネスモデルとしての出版を考えてみたい。
工芸品を工業製品として扱えば赤字は当然
なぜ赤字になるか。損益分岐点を下回るから。なぜ下回るか。販売部数が読めないから、ということだが、そこで止まってしまっては占い師か祈祷師にでも頼るしかない。考え直すべきなのは、商品の提供形態と価格であり、仮説として次の5点を提案したい。
- 形を変えることで損益分岐点は動かせる。ハードカバーの豪華装丁本から、著者持ち込みのPDFファイルまでのレンジで考えれば、コストも選択の問題となる。
- 読者(のTPO)によって、最適な形態は変わる。読者のサービス価値が最大になるような提供形態と価格(の組合せ)を検討すべきだ。
- 絶版本を含め、それらに含まれる知識情報の価値を再評価し、高いと思われるものから電子化してニーズを測り、紙での再版・改訂の可能性を検討すべきだ。知的在庫の価値評価は、片手間とすべきではない。
- 情報の価値は、社会的な関係性(コンテクスト)によって発見され、再創造される。Web 2.0を使って、知識を必要とし生産し、販売しているコミュニティに密着すべきである。答は現場にある。
- ヒット狙いは例外とすべきだ。通常の本が「広告」抜きで売れるようになれば、宣伝広告費は大幅にカットできる。出版社が「メディア」の権威にすがるようでは貧乏神が居座る。
ほとんどの本は工業製品ではない。どだい量産には向いていないのだ。しかるに量産向きの設備(高速輪転機)を使って生産し、マス媒体で広告宣伝を打ち、量産向きのロジスティクスで流通すれば、赤字が垂れ流されないほうがおかしい。「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」である。21世紀の現実と合わないのにもかかわらず、懲りずに赤字を重ねながら、救世主としての「ベストセラー」を待望してタレント本などの紙屑を生産するなら、神も見離すはずだ。ともかく、コストは大幅に下げられるし、在庫コストなしで商品の寿命を無限に延ばすこともできる。出版社は金鉱を持ちながら、選鉱の方法を知らないかのようだ。サイトへのアクセス解析やSNSなどで得られた情報をもとに、最適な提供形態、価格帯、ターゲットを選択できれば、赤字はコントロールできるし、利益は高められる。
知識の社会的価値と利益
出版社は市民社会とともに生まれ、発展してきた。かつて出版人が尊敬されていた時代は、もっぱら「価値ある知識」を世に出すということで評価されていた。出版社がいくら儲けようと、社会(読者)に直接の利益はないから、当然のことである。また知識をまず社会的価値として提起することで「知識」人の存在価値もあった。つまり道徳性ということだ。悲しいかな、社会はどんどん道徳から離れて市場化され、あげくに利も失ってパンクしてしまった。知識人もこれに同じ。とくに保護されているわけではない出版社としては、赤字を出し続ければ存続が危うくなる。惜しまれて消えるか、惜しまれないで消えるかの違いしかない。利か仁義か、もはや中途半端ではすまされない。神(紙)の手に委ねれればよかった時代は終わった。
消えた後にも、遺された情報は「電子図書館」を潤し続けることにはなるだろう。読者にとっては悪くないが、社会にとって「出版社」が消えれば、文化の(再)生産の柱が消える。消費には不自由しないかもしれないが、生産は相当なダメージを受ける。英語で過去の紙面などを保管してある資料室のことを morgue(死体保管所)という。出版社が死んだあとのの電子図書館も、まさに死体保管所だろう。だが21世紀の情報モルグでは、「面会者」がひきもきらず、保管所業も繁盛し、遺族(著作権者)にも線香代くらいは出ることになるのだろう。
出版社には(新聞にも、放送にも)利益が必要だ。しかしそれは基本的に副産物であるべきだ。利益に最適化すれば他産業に対する独自性がなくなり、編集プロダクションとして巨大な広告モデルに吸収されるほかない。広告=情報サービスのグローバル・プラットフォーム化に対して、市民社会のよき伝統を護るためには、出版者は王道を歩んでほしい。そしていまや王道でも利益を出す道は拓かれていると愚考する。 余曰く。出版人何すれぞ必ずしも利と曰わん。ただ人間あるのみ。 (04/03/2009)
王何必曰利、亦有仁義而已矣、王曰何以利吾国、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而国危矣 (孟子・梁恵王一)
王何すれぞ必ずしも利を曰わん、亦(ただ)仁義あるのみ。王は何を以って吾が国を利せんと曰い、大夫は何を以って吾が家を利せんと曰い、士・庶人は何を以って吾が身を利せんと曰う。上下交(こもごも)利を征(と)らば、而(すなわ)ち国危うし。
*ちなみに、「仁義」の解釈はいろいろ可能ですが。仁とは「忠恕」(真心と思いやり)、「義とは宜なり」(『中庸』)で、事物に適切であることをいう、と理解しています。
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