魂の一粒:チョコレートがもたらす「不況下の」贅沢と高揚
By Hiroki Kamata | 2009年 4月 12日
不況下でも消費が伸びている商品に注目が集まるのは当然だろう。海外では、意外にもチョコレートが伸びている、とタイム誌が伝えている(4月11日、「不況下のスィートスポット」)。リンツ (Lindt)の2009年の売上予想は、前年比 2~5%、キャドバリー (Cadbury)は4-6%、ネスレも悪くないという。業務用の大手バリーカレボー (Barry Callebaut)も2009年2月期で4.7%の成長を記録している。欧米だけでなく、ロシアや中国の需要増も貢献しているという。
チョコレートが不況に強いわけ
タイムのヘレナ・バックマン記者の同記事によると、英国の食品産業調査会社ジャスト・フードのアナリストは、「チョコレートは最も不況に強い食品だ」と述べている。食事の量が減り、外食が減ると、人は「たまの贅沢」に浸りたくなるのだが、チョコレートこそ、安価・少量・高級で最大の満足感を得られる由。また、経済的要因だけでなく、チョコの効果は心理学的にも保証されている。フロイト以来、不安な時に気持ちを高揚させてくれる効果を持つことは定説とされている。で、バックマン記者はこう結んでいる。「ということは、チョコレートはただのお菓子じゃなく、魂に必要な本物の食べ物といえそう。」
チョコレートの味の奥深さと、その効用(高揚)については、筆者も同感だ。一粒で貧乏くさくなくなる(と思う)。ところが、日本の一人当たり年間消費量 (2.2kg)は、スイス (12.3kg)の5分の1以下、オランダの4分の1にすぎない。つまり、2月のあのうざい時期を除けば、日常的なものとしては普及していないということだ。日本人の多くはまだチョコレートを知らない。東京では高級チョコの店が目立つようになっているが、これも「非日常」的な味と価格が受けているのだろう。消費が少ないと「高級路線」に走るのは、ほとんど常道になっている。しかし、これでは欧米のように消費は伸びない。チョコレートは日常的なものとすることができるし、それだけの価値はある。ショコラティエの技を学べば、自宅で高級な味を「製造」して楽しむこともできる。
日本人はチョコレートを信じない? バレンタイン以外は
日本人のチョコレートとの本格的な出会いは、不幸にしてアメリカ占領軍の戦闘用非常食の流出品から始まった。18世紀には長崎の遊女がオランダ人から貰ったものを食べた記録があり、1918年には森永製菓がカカオ豆からの一貫生産を始めているが、原料の調達や輸入に制限がなくなったのは1970年代に入ってから、高級チョコレートとなると海外旅行ブーム以降、ショコラティエなどはバブル以後の現象、ということになろう。こうした歴史をひもとくと、チョコレートは「女子供」のもの、という思い込みから、いまだに解放されていないように思えてならない。ダイの大人(オトコ)が…。
食文化というものは意外と保守的で、表面的には受け入れても、ほんとうは根づいていないか、あるいは変種として定着している例がむしろ多い。日本人の多くが肉スープの味を知ったのはここ20年ほどのラーメン体験以来だろうし、ワインを飲むようになったのも、「本格」欧州料理レストランが増えてから、「カレー」ではないインド料理もそうだ。そして和食の源流は中国の「宋」以前に遡るらしい。室町以後は大陸文化の導入に不熱心(国風文化に熱心)になったので、「淡白な」宋風以前が残ったらしい。チョコレートは、本場ではむしろ大人の食べ物であり、それに相応しい広がりと奥行きが賞味されている。和菓子が茶道とともに発展したように、とくにコーヒーとともに発展した。さらにデザートであり、フルコースのディナーの全重量を(葉巻と同等に)受けとめるパワーがある。その際はコニャックやポルトなどを友とする。
団塊生まれの筆者も、チョコレートの真価を知り始めたのは、そう古い話ではない。子供の頃に「チューブ入りチョコ」「板チョコ」に親しんで以来、あまり重視していなかった。スイスやベルギー製品、フランス料理屋やケーキ屋などの手づくりものでだんだんと勉強し、好きになっていった。やはりチョコレートは手づくり(に近いもの)が良い。個性・作品性の強いものなのである。そして、どちらかといえばヨーロッパスタイルのコーヒーやコニャックなどで受ける形が好ましい。最高のチョコレート体験は、南フランスはトゥールーズのチョコラティエ、オリヴィエ (Olivier)のものだ。世界的に知る人ぞ知る名店だが、ここにしかない。最高のものは和菓子と同じく量産がきかない。 (04/12/2009)
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