インド最貧州のデカップリング:ビハールが経済を牽引
By Hiroki Kamata | 2009年 4月 14日
世界経済の「デカップリング」という言葉は、ついぞ聞かれなくなったが、じつはなくなったわけではない。インドでは、成長の中心は大都市から農村部に移っている。バングラデシュも悪くない。考えてみれば、1日1ドルそこそこで暮らす貧しい地域ほど成長力が大きいのは当然のことだ。そしてその力が国全体を押し上げる。Wall Street Journal のピーター・ウォナコット記者の「貧しい農村部の成長で経済停滞に抗するインド」という記事 (4/10/2009)は、この新聞にしてはめずらしく、インドのビハール=最貧州をルポしたもの。ニュースフィルム風のビデオもついており、臨場感もあってとても興味深い。
世界不況をよそに5%超の成長
新興国・富裕層の散財は、高額品市場にはもちろんプラスだが、たいした経済効果はない。逆に貧困層、つまり現実的理由から市場経済から遠いところで生きている人々の消費が持続的に拡大することは、社会経済的意味が大きい。数が多く(インドだけで約7億)、大多数が生産活動に従事し、可処分所得(インドでは世帯当たり2,000ドルを超える額)は市場に還元されてさらに雇用を生み出す好循環を形成するからである。2007年までの5ヵ年で、農村部は大都市より高い成長力を示していた。
ウォナコット記者が取材に行ったのは、インド北東部でネパールの南に位置するビハール州 (人口8,300万人)の、そのまた最貧層のムシャハールが居住する村。ヒンディー語で「鼠を食らう者」を意味する不可触民の人口は200万人を数える。教育と雇用を重視した政府の開発計画が奏功して、確実に生活が向上しているという。最近では政府が「鼠の養殖事業」を支援しようとしたのに対して、「鼠捕りじゃなく、マウスの使い方を教えろ」というデモも行われたという。これはたいへんな意識革命だ。そしてITを代表するインフォシスのナンダン・ニレカニ会長も、都市部を中心としたこれまでの成長がむしろバブルだったと言い、農村からの変化こそが将来の成長の弾みをつけると指摘している。輸出頼みを公言する日本の経営者とは大違いではないか。
飲料会社や電話会社、家電メーカー、自動車、農機具メーカーも農村部の売上で好調を記録している。ここは確実に世界不況からデカップルされているのだ。そして、市場主義の機関紙だったWSJとしては信じがたいことに、成長の要因として、次の点を挙げている。
成長の要因
- 関税障壁:農産物輸入に高関税を課した。農村を自由競争から守ったことは、農業に圧倒的に依存する地域の安定と食糧の増産をもたらした。海外からの投資は来なかったが、教育・医療・社会インフラへのわずなか投資で十分であったと言える。
- 低位カースト出身者が「開かれた政府」を実践し、公共投資と農民・最貧民の政治参加を促した。1990年代にはほとんど成長しなかったビハール州の成長率は年率5.5%と、インドの平均を超えるようになった。
資源輸出など外的要因によるものではない貧困州の成長は、止まることはないだろう。上述したような処方は、1960年代の開発経済学者やガルブレイスなどが唱えていたものだ。しかし、当時の「社会主義的」政権のもとでは成功せず、21世紀に入って軌道に乗ったのはなぜか。やはりITが牽引した都市の成長と教育熱が大きかったように思う。社会的流動性というものは、起こそうとしてもなかなか起きるものではないが、カネではない、教育による成功にはその力がある。経済学の教科書には最貧層に投資せよなどとは出ていない。貧困はたいてい怠惰など市場からの脱落の結果でしかないと教えられている。農業の保護は有効な場合もあるとさえ書いていない。農業を保護せずに先進国になった例は存在しないにもかかわらず。 (04/14/2009)
P.S.
ビハール州は、日本人には「仏教生誕の地」として知られている。高度な古代文明が栄えた地で、いつまでも「最貧地域」「犯罪多発地域」に甘んじているのはおかしい。世界最初の大学があったところで教育水準が低いのはおかしい。Webのおかげで、ビハール人によるビハール情報が簡単に得られるようになった。たとえば、以下などがお薦め(写真は同ブログによる)。
Topics: 政治・経済・ビジネス, 現代世界論 | No Comments »