「青春」の墓標:さらば青春! と言おう
By Hiroki Kamata | 2009年 4月 17日
その目は悲しげに宙を泳いでいた。声は時おり裏返り、救いを求めて原稿に目を落としても、気の利いた台詞が書いてあるわけはなく、「適法」の連呼で自分を空しくするだけだった。あと4年(あるいは75日間)この「青春の仮面」の裏で苦しみ続けると思うと、同情を禁じ得ない(千葉県民にも)。
悲しき哉「青春」の偽装
「青春の巨匠」森田健作・千葉県知事の「全盛期」はほとんど見ていない。青春の押しつけが嫌いな性分のせいだが、いつまでも「青春」のマスクを貼り付け、過去のみを背負いながら「政治」の世界にしがみついて生きる氏の姿勢には、感嘆していた。仁左衛門(十三代目)の伊左衛門や忠兵衛じゃあるまいし、還暦近くなってまで「青春」を張るのは、傍目で見るほど楽ではないと推察する。
マスコミは「青春」のイメージが好きだ(なぜか団塊世代で時間が止まっているが)。安倍政権が登場した時、あまり見慣れない閣僚の顔ぶれの「若々しさ」に驚いたが、年齢を聞いてさらに驚いた。とっくに初老なのだ。ヅラのような、黒々とした髪型。ダイエットした身体と弾む歩き、「若やいだ」表情、軽い語り。こうした「幼形成熟」は社会の「淘汰圧」によって生まれたものだ。成熟を嫌悪・拒否するのは思春期の心の病だが、社会全体がこれに罹ってしまっている。政治は「老人・因循・しがらみ・改革反対」といったネガティブ・イメージで語られているので、ベテランといえども、その逆を演じ続ける必然性があるわけだ。特に都会では。
団塊以前の世代には、老成を尊重する大昔の雰囲気が残っており、若さは未熟と同義だったから、「若輩」はなんどか餓鬼扱いされないよう、滑稽なほど努力していたものだ。そっちのほうが健全だと思う筆者は、「いい年」をした総理が「エビちゃん知ってる? 知らないと遅れてるって言われるよ」というのを見てもぞっとする。若さの仮面より、それぞれの世界で修羅場を経験し、道を拓く中で齢を重ねた風格・凄味というものを見たい。 (04/17/2009)
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