「無料パス」は精算、「記入ミス」は訂正:過剰反応が政治を滅ぼす。
By Hiroki Kamata | 2009年 5月 14日
もはやこの国では、マスコミが提供する情報のすべてが「政治」化しつつあると邪推したくなる。国難に際しても政策を議論することなく、怪「報道」や怪「捜査」が浮上しては消え、世論調査と称する電話アンケートで「国民目線」とかいう「世間」が操作され、誰かが「政局」を壟断する、この国の悪習が、いかに品位を貶める恥晒しなものか、考える人間はいないのだろうか。情報社会どころか、本質的には(選挙も武力も使わず統治がおこなわれる)古代国家に特有の政治スタイルというほかない。
鴻池官房副長官の「無料パス」が突然浮上したのは、「麻生降ろし」の再開を告げるものか。天真爛漫で冒険を好む副長官は、以前にも「議員会館事件」を起こしたが、麻生総理の要領を得た(?)説明で立ち消えとなり、もちろん「世論調査」も行われなかった。前回に比べると、東京-熱海間の新幹線料金ほどのことで、問題にならない。むしろ尾行のコストのほうがよほどカネがかかっている。しかも負担したのは週刊誌ではないだろう。今回の辞任までの手回しがよすぎるのは、総理サイドが、日露国交正常化(この言葉も凄いが)交渉を控えた微妙な雰囲気を感じ取っているからか。
考えてみると、この国では重要問題の決定に、選挙によって国民が関与するケースはじつに少なく、スキャンダル(ご存じ「ロッキード疑惑」や橋本総理の「中国愛人疑惑」を含む)が浮上して流れるか、逆にドサクサに紛れて通るかするほうがはるかに多い。政治にビジネスと生活がかかっている関係者にすると、選挙に運命を委ねるなどというハイリスクを冒すのは愚の骨頂で、いきおい非正規な手段をとることになるのは理解できる。マスコミの眼が節穴であればなおさらで、疑惑を演出した側が詮索されることはないから、ローリスク・ハイリターンといえる。困ったことだ。
最低限の基準を明確にするとすれば、情報の信憑性(説明責任はとりあえず訴える側にだけある)、行為の意味(国民に損失を与えたか否か)くらいか。眼には眼を、チケットには精算を、酔っぱらいには保護、記入ミスには訂正、愛には愛…というしかない。さもないと、天に唾することになる。選挙民の選択権を奪うのは選挙妨害だ。それにしても、富裕層に属する前副長官の経済感覚と(対照的な)奔放さには驚愕を禁じ得ない。渡辺淳一先生の「作法」を忠実に守っているというか。 (05/13/2009)
Topics: 政治・経済・ビジネス, 近時片々(時論) | No Comments »