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伝説のスパイ70年後の真実:エージェント・スコットの肖像

By Hiroki Kamata | 2009年 5月 16日

wynn_553287a半世紀以上前(1930~40年代)、旧ソ連のスパイとしてオクスフォード大学でリクルーティングに当たっていた「エージェント・スコット」が、著名な科学者で上級公務員として務めたアーサー・ウィン 氏(Arthur H. R. Wynn、1910-2001 =写真) であったことが判明した、と英紙The Times が伝えている(5月13日)。情報源は、旧KGBで報道官を務めていたアレクサンドル・ワシリエフ。彼が1990年代にアクセスし、写して持ち出した膨大な量のKGBファイルの分析から確認したという。

彼は米国の二人の歴史家の協力を得て、このほど”The Rise and Fall of the KGB in America“「アメリカにおけるKGBの興亡」)という本を書き上げたのだが、「スコット」の件は米国の保守系評論誌 Weekly Standard で明らかにした。スパイ・ストーリーには、ディスインフォメーション(偽情報)がつきものだが、これは信憑性が高い。なお、上記の本は、マンハッタン計画に絡んだスパイ活動に関して新たに解明された記述を含んでいるという。

この伝説的人物は、英国のエリート出身校として名高いオクスフォード大学の学生の中から「適格者」25名以上をソ連のスパイ(秘密共産党員)として発掘し、指導した。これは、ケンブリッジ大学で組織された、有名な「ケンブリッジ・リング」と並んで「オクスフォード・リング」と称される。もちろん、これらは情報機関を含む英国政府内での活動を期待してのこと。同グループは1980年代に摘発されて、名前が浮かんだ関係者3名が死亡(2名は自殺)したが、なお全容はなお明らかになっていない。ウィン氏も、かの「スパイキャッチャー」MI5のピーター・ライトの追及の対象になったらしいが、余生を乱されることもなく、90歳以上の天寿を全うした。夫人(96)はなおロンドンで存命しているが、本件へのインタビューを拒否し、親戚は「戯言」とコメント。

インテリジェンスのインフラストラクチャ:リクルーティング

philby現代における、個人と国家あるいは「世界」との関りを極限的に語るものとして、スパイはじつに興味の尽きない素材だ。スパイが勤まる人間は、二重性(あるいは多重性)を持つ。異質なアイデンティティの間で、危ういバランスを保たねばならないし、そもそも多分野に秀でた才能がなければ、ハイレベルの活動はできない。とはいえ心身ともにタフでないともたない。スパイ活動に優れた国は、英国とロシア、中国、米国などの「帝国」、あるいはイスラエルのようにアイデンティティが複雑な国家に偏るが、それは忠誠だけではなく、異質性の共存、能力主義などが組織原理として必須となることを意味する。ジャーナリズムや学界、ビジネスなど異分野での経験も重視されている。

現実に最もスパイらしい存在は、神出鬼没のエージェントよりは「二重スパイ」だろう。中でも、1960年代に英国社会を震撼させたソ連二重スパイ事件は、5人の傑出したスパイの出身大学から「ケンブリッジ・ファイブ」として知られており、スパイあるいはインテリジェンスの歴史を語る時は外せないエピソードとなっている。ジョン・ル・カレを始めとする何人もの小説家が傑作をものしており、架空のヒーロー、ジェームス・ボンドに対する、現実のアンチヒーロー(とくにMI6長官候補にまでなった“Kim”フィルビー=切手)は、英国人にとって忘れることができない存在だ。今回は、この「ケンブリッジ・リング」ほど有名でない「オクスフォード・リング」に再び光が当てられることになった。

旧ソ連は、共産主義に共感を持つ若いエリート学生を、共産党の活動家としてではなく、スパイとして育て、社会に送り込んだ。これはもちろん簡単なことではない。リクルートされたスタッフのレベルはリクルーターに依存する。国際政治の激動の中でモチベーションを保ちながら自律的に活動できる人間、恐怖や孤独と戦いながら「任務」を遂行する胆力がある人間は希だ。主観的には「祖国」を超えた「普遍的価値」を確信しているわけで、「ソ連」の手先になっているという意識はない。そこまで信じさせたから、英国社会の上層にまで組織を広げられたと考えるべきだろう。

スパイの肖像

「エージェント・スコット」あるいは Arthur Henry Ashford Wynn は、1910年生まれ。オクスフォードとケンブリッジで自然科学、経済学、数学などを学び、両大学を優等で卒業。ラガーとしても活躍し、「戦術を知る男」と新聞でも賞賛された。キム・フィルビーをリクルートしたエディット・チューダー・ハート (Edith Tudor Hart)の紹介でセオドア・モーリー (Theodore Mally)が1934年にリクルートした、とKGB文書に記載されている。1933年にドイツに滞在したことがあるので、同時期にドイツで活動し、ドイツ人女性と結婚したキム・フィルビーとの接点も推測される。1938年に、ケンブリッジ大学の学生党員だったペギー・モクソンと結婚した。

リクルーターとして活躍する傍ら、無線技術、栄養学、労働安全など多分野で顕著な業績を収め、その後政府に関係して1971年に引退するまで技術省に勤務した。非常に熱心だったようで、数が多すぎてモスクワを警戒させたほどだったという。「オクスフォード・リング」については、1988年のピーター・ライトによる「実名告発」以来、さまざまな憶測がなされており、「関係者」には労働党国会議員、外交官、サザビーズ会長などが含まれていた。エージェントと名指しされたバーナード・フラウド労働党議員は自殺、弟のピーターは「突然死」、連絡係のフィービ・プールも自殺し、英国でのそれ以上の追及は不可能になった。

「オクスフォード・リング」の存在は、確証されていなかったが、70年目にして歴史家に確認された。その具体的役割についても解明される時が来るかもしれない。いずれにせよ、国家の「インテリジェンス」というのは、非常に息の長い仕事であり、インフラづくりから始まる、ということを英露関係史は語っている。日本のインテリジェンスの第一線で活動した佐藤 優氏は、何者かが流したディスインフォメーションで汚名を着ることになったが、どう考えても、日本にはこのレベルのことはできそうにない。 (05/16/2009)

Arthur Wynne’s public roles hid private betrayal as Agent Scott, By Ben Macintire, The Times, 5/13/09

Topics: 書評(本・新聞・ブログ), 現代世界論 | No Comments »

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