技術は劣化する:技術の「危機」とは何か
By Hiroki Kamata | 2009年 5月 23日
「技術は劣化する。このことを知るのは、技術開発に人生をかけてきた私たち技術者にとってつらい現実である。一生懸命支えてきた技術の分野が劣化していくのを目の前にして、何もできないのだ。 」(「技術は劣化する:開発能力の喪失を示す米軍の新型艦艇」 宮田秀明・設計の経営学、日経ビジネスオンライン、5/22/09)
「技術が劣化する」という事実は、ベテランの技術者にしか分からないかもしれない。技術はチャレンジを通じて進化することは誰でも知っているが、進化しなければ劣化するものでもあるのだ。残念ながら、政治家や官僚、経営者など、技術に関する大きな意思決定の主役たちが、このことを理解している可能性はあまりないだろう。彼らが「テクノロジー」を語る時の、なんとも軽い、いや空っぽな響きが物語っている。様々な技術的プロジェクトでアーキテクトとして活動してきた人の話や、技術史を注意深く読めば、理解することはそう難しくはないのだが、宮田先生を数少ない例外として、彼らはあまり雄弁ではない。とくに日本では。
劣化というのは「停滞」とは違う。過去の水準の仕事ができなくなるということだ。アポロから40年。人類は月に行けなくなってしまった。「やればできる」という単純なものではない。まして、その後の技術の進歩で容易になったはず、というのは完全な誤解だ。スペースシャトルの技術は劣化し、プロジェクトの続行は困難になった。日本の原子力技術も「劣化」を免れていない。「技術の劣化は人材の劣化とともに進行する」と宮田先生は言う。20年ほど前に米国の大学が(造船業の衰退により)船舶工学科を廃止したことにより、設計のレベルが低下し、海軍の新艦建造にも問題を生じるほどになったのだ。
現実の「技術」とは、マニュアル化された知識ではなく、現場での問題解決能力のことであり、プロジェクトにおける工学的実践を通じてしか実現されない。ということは、たえず新しい発想、人材、プロジェクトが投入されていないと、この「問題解決能力」という「心眼」の部分が継承されていかないのだ。「解決能力」は「問題」がないと生まれようもない。また解決の創造的発想は、基本的に達人や天才から学ぶしかない。これらがないと、「技術」は退化してしまうだろう。新しい技術(船舶設計でいえば造船CAD)を使っているにもかかわらず、過去の設計に及ばないというのはそういうことだ。技術は生き物である、というか人間の中でしか生きられないものなのだ。
日本人は、技術を技 (art)として伝承してきており、技の伝統と近代的工学 (engineering)を融合した技術文化を育ててきた。しかし、文系理系を分離した教育・人事システムの硬直性のために、目的達成の戦略としての技術を考える (technology)ところが弱い。しかも、一般には科学と技術の関係も認識されていない。最近は、この弱点が拡大し、長所が消されている。意思決定に関る人がテクノロジーを自分の問題と考えないままに、予算を決定し、管理しているからだ。彼らは、衰退産業から成長産業に技術者が移って技術革新を促進する、という経済学者のお告げを信じている(経済学者がどこかで技術革新を興した例でもあれば、私も信じよう)。しかし「造船」を衰退産業とするのは官僚と経営者であって技術者ではない。
「技術」幻想を強化し、固定化した最大の原因は、「IT」への誤解ではないかと思う。ITは何でも記録し複製し、変換し、必要な情報を用意できるような幻想を与えるが、問題解決能力を持っているわけではない。問題を認識する方法を知っているわけではないし、まして解法も出してくれない。問題領域の分析とモデル化(デザイン)は人間の想像力の限界に依存する。知識が増えても問題が減るわけではないから、モデル化はつねに新しいチャレンジなのだ。だから、技のある人間がいなくなれば、技術は急速に劣化する。日本の技術力を維持するために、残された時間はあまり多くない。 (05/22/2009)
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