インフル情報の猖獗と消滅:疫学専門家は何処?
By Hiroki Kamata | 2009年 5月 24日
蓋然性(ありそうなほう)で考えると、この週末で「豚インフル」のニュース(政府発表に同じ)がほとんど消えたのは、当局がこれ以上「この緊張状態を維持できない」と判断したためだろう。(1)関西の3都市で感染が拡大し、社会生活、経済活動に打撃を与え、(2)関東での感染が明るみに出るのは時間の問題、である以上、(3)現在の警戒レベルを維持しようとすれば、当局への反撥が生まれるのは必定。然らば、となったと推定できる。欧米とは価値観の違う日本では、こういう判断は政府が密室で行う(だって専門家の議論がまるで聞こえてこない)。「説明責任」が大好きな人たちも、話題にしない。
ほんとうは「水際の検疫体制」を(とくに国会の党首討論までは)維持し、「外国の病原体から国民を守る」司令官と防衛軍の活躍を伝えていたかったと思うのだが、NY Timesに「パラノイヤ」とまで言われ(22日)、国際的にも「異常な国」として伝わり始めていた。東京での感染例が少なすぎたことに疑問の声も高まっている。1件4万円かかる検査は海外からの渡航者の中の「容疑者」を相手にする分にはいいが、本来の流行期を過ぎているA型患者(かなり多い)すべてを対象とすれば、財政も医療システムもパンクする。つまりほんとうのパニックが起きる。関西が傷んでも(たぶん)気にしない政府も、東京の御政道への疑念が深まり、経済生活への影響から怨嗟の声が高まるのだけは避けなければならなかった。週末というのは、頭を冷やすのによいタイミングだ。
本来の主役:疫学は公衆衛生の工学方法論
何がきっかけになったかと言えば、神戸の医師が「遺伝子検査」を要請したことだろう。「水も漏らさぬ体制」は、この蟻の一穴から崩れ、一気に「関西だけで世界4位の感染国」にランクされてしまった。しかし、このかん、すべてが「政治」レベルで判断され、本来の有識者であるはずの疫学 (Epidemiology)専門家の知見は紹介されることすらなかった。ウィルス学者や医者はインタビューされても、対策における唯一の専門家である疫学者が専門的見解(とくに対策とコスト、被害の関係など)を議論するような場は設定されていない。マスコミの科学・技術音痴はひどいものだ。
疫学は医学ではなく、公衆衛生の方法論であり、一種の工学と呼んでも差し支えないと思う。科学としては、医科学、生物学、社会学、数学、論理学などを援用する。公衆衛生はこの疫学を基礎に成り立っている。医学ではないのである。日本にもかつて国立公衆衛生院というりっぱな機関があったが、例の「御改革」で、感染症研究や医療管理など別系統の機関と統合され、国立保健医療科学院となっている。工学者としての疫学専門家は、今回のような本来の出番でも正当な扱いを受けているとは思えない。
疫学は18-9世紀の近代科学と工学の所産であり、西欧近代社会のインフラともなっている。日本は疫病を祟りとして神と祀る時代から脱して日も浅く、一般的には「衛生教育」を徹底させられることで世界にも希な「清潔の民」となったために、<環境→病原→清潔>と直結してトラウマを刺激し、欧米人が驚嘆するような行動(自己防衛のためのマスク。欧米は逆)をとる。当局の方々も、ここまで日本人が敏感であるとまでは考えていなかったと思う。ともかく、保険行政に工学的専門性が生かされないと、今回のような「江戸時代」的対応で21世紀の生活を混乱に陥れることになる。
ふたたび蓋然性で考えると、すでに感染者は1万人規模に達している、とみるウィルス専門家の見方が信頼できる。東京圏には関西以上にいるはずだが、成田(渡航者)以外では「発生」しない仕組みになっていたのだ。「東京オリンピック」への悪影響を避けたいという政治判断もあったかも知れない。ともかく関西だけは「いい面の皮」だった。 (05/23/2009)
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