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死の舞踏としての「鳩山更迭」

By Hiroki Kamata | 2009年 6月 13日

469px-holbein_danse_macabre_6「正義」の人、鳩山邦夫前総務大臣は、自ら担いだ総理に後ろから切りつけられて「下野」したが、この「100日抗争」の一方の主役は、なんといっても西川善文・日本郵政社長。民間企業だったら、とっくに3回は首を取られているほどの失態にもかかわらず、逆に監督官庁トップの首を取り返す、日本人離れの強靭さはどこから来るか。…と、考えていて思い当たることがあった。失礼ながら、「最後のバンカー」と呼ばれる方は、1990年代の磯田住銀の「不良債権処理」のさ中に「死んで」おられたのではないか。いや、もしかすると、この10年以上というもの、日本はとうに亡くなった人たちによって動かされてきたのではないか。

「ゾンビ」は生きて増殖を続けていた

彼らは「恐れ」を知らず、「痛み」を感じない。「改革」派でありながら、あらゆる「スジ」を通じて表と裏、右と左の権力を動かす。日本的でないので「アメリカン」のように見えるが、さにあらず。この1年ほどで透けて見えてきたのは、アメリカンどころか、相も変らぬ「越後屋と悪代官」の姿であり、「市場原理主義」どころか、明治以来の「払下げ資本主義」のうんざりする姿だ。黒船を利用して「古い日本」の乗っ取りに成功した「志士」たち。しかし、住銀もオリックスも純日本企業ではなく、かなり「アメリカン」ではある。ナショナルな「国家独占資本主義」を背景にしていない分、革新的・生産的なビジョンはなく、リスクのある事業よりは「レントシーキング」を追求する。

バブル後の「不良債権」(政治的概念なのでカッコを付けておく) 処理の過程では「ゾンビ企業」とか「ゾンビ銀行」を延命させるべきではない、といったことがよく言われた。「ゾンビ」という喩が強烈だったせいで、なんとなく説得力があり、けっこう通用した。自分の身の回りの会社がすでに「死んでいる」と思い始めたら、気持ちが悪いし、経済活動が成り立たない。死を穢れとする日本人には、とくに効くメッセージだ。そこで膨大な政府資金とゼロ金利で金融再編が進む一方で、労働人口の3分の2を雇用する中小企業を中心とした「弱者」が継続の道を断たれても、それこそ淘汰であると納得させられたのだろう。ところが、ゾンビは強者として「生き」残った。それどころか、金融恐慌以後、それがますます増殖していたことが判った。

ゾンビの本質としての意思の欠如

ゾンビの(というよりジョージ・A・ロメロなどの「ゾンビ映画」が描く)本質は、それが「伝染る」ものということ。ヴードゥー教由来の「生ける死者」に、中東欧の吸血鬼伝承を融合させた、この現代的モンスターは、生者を同類に変えることで増殖する。この偉大なモチーフは、吸血鬼伝承のように無限の応用が可能で、いまも「増殖」を続けている。すぐれて現代的・現実的なテーマであることは言うまでもない。ゾンビは「生きる」と「死んだ者」という矛盾した概念を組み合わせた、かなり哲学的なコンセプト(英語で”undead” あるいは “living dead”)で、当然にも生とは、死とは何かということを考えなくては生まれない。オリジナル(ロメロ)のゾンビは、意思を持たず、他者に操られるか本能で動く者だった。つまり「意思」ということを「生」の基準としたわけだ。

200px-night_of_the_living_dead_affiche1人々は、隣人や同僚、上司、あるいは家族のなかに「意思」を失った姿を視る。「意思」を失った者は「パンデミック」のように増殖し、多数を形成する。明日は自分かもしれない…。だからゾンビは怖い。ダン・オバノンの傑作パロディ「バタリアン」(1985)は、娯楽性を強めて、ゾンビにも個性や「意思」らしきものを与え、それが魅力でもあるが、そのことによって、(哲学性は後退したが)むしろリアリティは高まった。現実の世界に「生きている死者」たちも、個性や感情や「意思らしきもの」は十分に持っているからだ。だから、バブルの「清算」と「構造改革」以後で活躍した人々の姿にダブらせてみると、非常に興味深い。

彼らはむしろ個性的で、話が面白く、感情を隠さない。「古い日本」の人たちにくらべて、多弁で透明度が高い印象。少なくとも、彼らのメディア業界の仲間たちはそのように見せることに成功した。でも、何かが違う。彼らは実は競争などしたことがなく「権益」というレントを追求する存在であって、数字だけを信じる。現実のビジネスの現場で、汗水流し、恥をかき、失敗し、傷つく存在ではないし、知恵を絞り、共感し、力を合わせて難題に取り組む存在でもない。企業といえば「時価総額」を思い、3ヵ月返済が遅れれば「不良債権」の烙印を押す一方、「紹介」さえあれば「フロント企業」にも気前よく融資し、根拠のない配当につられて他人の金を溝に捨てられる。悪い冗談のように、老人や障害者に「自立」を促し、失業青年に「再チャレンジ」を呼びかける。これがバブルの清算過程で増殖したゾンビたちだ。彼らは生きた人間を餌食にし、一部を仲間に加える。ネズミ講被害者が自ら講を興すように。

生ける屍=死せる魂

ゾンビ=生ける屍の意味するものは、墓場の臭いでも腐乱した身体でもない。動く死体の怖さは人を害するというだけだが、本当に怖いのは「死せる魂」であり、それが恐るべき伝染力の実体だ。オリジナルのゾンビの発想は、人が「魂」あるいは「心」を失った世界の怖さを示すことで、その救済と再生を語った哲学的娯楽寓話からきていると思うが、それは、19世紀ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリの傑作『死せる魂』を想起させよう。心は社会(個と世界、人と人の関係)を映すスクリーンであり、個人的であると同時に社会的なものだ。すべてをカネに置き換えて考えるとき、心は死ぬ。カネは人を生かしたり殺したりする力を持つ。持たない人には、人格や身体を脅かす「暴力」にもなるだろう。暴力はさらなる暴力を生む。バブル以降の「失われた」日々で本当に失われたのは、これだったのではないか。

ゴーゴリの『死せる魂』は、主人公の「地獄めぐり」の話になっていて、第一部の現実描写に続いて、第二部で魂の救済を、第三部で美と調和を描く構想だったらしい。しかし、第二部は中途で挫折して焼却、三部にはまったく手がつけられなかった。リアリストとしての彼の筆が、甘い救済や理想を受け付けなかったのだろう。死せる魂は、あるいはそれに脅かされ続けた人々は、いつか救済を求める。そこには様々な善意や悪意が待ち受けているだろう。安易な救済には必ず落し穴がある、ということだけは忘れないようにしよう。有名なナチの「勝利」の記録映画は『意志の勝利』だった。 (06/14/2009)

Topics: 政治・経済・ビジネス | 4 Comments »

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4 Responses to “死の舞踏としての「鳩山更迭」”

  1. 通りすがり さんより:
    2009年 6月 20日 at 3:49 PM

    >民間企業だったら、とっくに3回は首を取られているほどの失態にもかかわらず

    民間企業だったらそもそも問題にはなっていなかったと思うのですが。

  2. 筆者 さんより:
    2009年 6月 22日 at 2:58 AM

    コメント有難うございます。問題は3点。
     1. かんぽの宿売却に関する特別背任疑惑(刑事告発されています)
     2. かんぽ「保険金不払い」問題への対応
     3. 郵便法違反事件
    いずれも監督官庁から業務改善命令を受けており、通常こうしたものをいただくと社長の進退問題になります。社会的な大義名分をふりかざされると、むしろ民間企業ほど許認可権のある役所の“経営介入”に抗しえないのは歴史が示すとおりです。「民間は自由なはず」というのは幻想です。

  3. 通りすがり さんより:
    2009年 6月 22日 at 11:42 PM

    >1. かんぽの宿売却に関する特別背任疑惑(刑事告発されています
     立件されたわけではないので単なる野党のパフォーマンスでは?
    かんぽの宿を不動産とみるか、収益性事業とみるかで入札価格の妥当性は大きくかわるでしょう。不動産としてみるならば入札価格は安かったかもしれませんが、雇用維持という条件がついている以上、収益性事業として捉えるべきです。その場合、万年赤字であるのでオリックスの入札価格は妥当と思います。今回の悲劇の原因は雇用維持にあまりにこだわりすぎたことでしょう。

    >2. かんぽ「保険金不払い」問題への対応
    >3. 郵便法違反事件
    問題の原因発生時点と西川氏就任時点の時間関係がよく分からないので、コメントは控えます。ただし西川氏に直接的な責任があるならば、筆者さんの言うとおり辞任もやむなしと思います。

  4. author さんより:
    2009年 6月 24日 at 1:12 AM

    ご意見、たいへんありがとうございます。
    このブログは政治的主張を述べるためのものではなく、なるべく違った見方の人と議論をして、少しでも自分の狭量・短見を広げようというものなので、ご指摘は有難いです。以下、僭越ながらお答えになっていれば幸いです。

    <刑事問題>
    確かに野党の「パフォーマンス」ではあるでしょうが、そのことと本件の「犯罪性」とは別問題として考える必要があると思います。西松事件が「国策捜査」かどうかという問題の場合と同じです。「かんぽの宿」では、「入札」の不透明さ(そもそも入札と言えない)、売却条件の設定(無用な一括売却)、資産査定の経緯(償却期間の短縮…)、選定経緯(落札側の利害関係者が関与)などが法律的に問題にされています。所有権者(国民)の利益が不当に損なわれたのなら、告発も当然で、民間企業なら株主が告発してもまず不思議ではないでしょう。

    <雇用保証問題>
    たしかに雇用問題は重要で、気にされるのは理解できます。しかし、かんぽの宿での「雇用維持」は、3200人の「従業員」全員ではなく、正社員のみ(約600人)が対象です。もちろん生涯保証などあるはずもなく、3年以下のようです(まあ民間よりは多少いいかも)。また単独でも100億円以上の価値を持つと言われる「ラフレさいたま」は、基本的に宿泊施設ですらありません(従業員も10人前後の由)。すべて3年を過ぎれば不動産としての処分も可能です。仮に年間50億円の赤字というのを真に受けるとしても、最終的に数年後に不動産として売却すれば、利益を上げられます。オリックスの株主のために。

    オリックスはホテル/リゾート事業を行っていますが、本体は金融と不動産で、昨年までは外国人持株比率が3分の2を超えていた時期がありました。「収益事業」として考えても、「かんぽの宿」は魅力的です。「かんぽの宿」は、旧郵政では契約者(と一般国民)のサービスのための保養施設で、これまで収益事業としてはみられてきませんでした。「赤字」という計算も、最近になって初めて出てきたもので疑問も少なくありません。資産の償却期間を操作すれば、赤字も黒字になります。民間企業ならそうするでしょう。「うまく」いっていたら、オリックスのもとで、「りっぱに」黒字化して賞賛されたかもしれません。

    <郵便法違反事件>
    この事件は、障害者郵便割引制度を悪用して、理屈の上では数百億円の損害を日本郵政を保有する国家(国民)に与えた大事件(日本では微罪ですが、米国の連邦郵便法違反なら終身刑か)で、全容(本筋)は明らかにならず、捜査も脱線しているとしか思えません。ともかく、国の制度の悪用に社員(新東京支店と新大阪支店の係長級)が関与していた時期が07年と08年なのですから、西川社長の監督責任は免れないわけです。

    基本的に、日本郵政(の誰か)は国有・国営時代に存在した「郵便法」を悪用し、不正な方法でDMの実績(扱いシェア)を上げること(巨額の賄賂などがないとして)だけを考え、競争相手(宅配業者)や国民に損害を与えたものであることはほぼ明白です。優越的地位の利用という、市場原理に対する侵犯です。

    <感想>
    私が「郵政」でやりきれないのは、結局「官から民へ」動くのは、競争から護られた「利権」だけではないのかということです。本物の市場主義ではなく、市場主義に名を借りた官有物払い下げだとすれば、社会主義に名を借りた官僚支配と大差はありません。「国営金融を」を批判していた宮内氏のオリックスも、政府から特別融資を受けて金融危機を乗り切りたいようです。「民」にもいろいろあります。松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、といった本物の実業家に代表される「民」もあれば、「官」を切り離しただけの「民」もあり、御用商のような「民」もあるわけで。本物でないと世の中はよくならないと思います。

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