「市場」の主役としての商人
By admin | 2009年 12月 11日
商人は古代社会以来「市場」のキープレイヤーであって、市場が活性化するかどうかは彼らに依存する。日本では江戸から幕末、明治初期までが商人の活躍期だった。皮肉なことに、士農工商の最下層の賎業とされた時代だ。商人の基本は、需給を読む相場観、商材を探し出す勘、リスクをとる勇気などだが、一言でいえば「人と違う」ことだろう。世間と同じでは競争にならず、利益はない、と考えるのが商人の真骨頂で、この精神が社会を裨益すること大である。市場経済を理想化する人々は、企業がその継承者とあると称する。(図は石田梅岩)
ところが、商人の精神は個人に属するもので、ものの見方も勘も度胸も、試され鍛えられるものではあっても教えられるものではない。そして大企業サラリーマンほど、そうした環境に遠い存在はないだろう。商才のある人間でも、組織内で淘汰が進むと世間並みのリスク嫌いばかりになってしまう。社会に機会損失をもたらすこと大である。インターネットやグローバリゼーションは、サラリーマンに危機を、商人にチャンスをもたらす。サラリーマンの仕事は、それがインテリジェンスを欠いた定型的なものであればITに、あるいはより人件費の安い人間の労働で置き換えられる。しかし、人間としてより原始的な本能を呼び覚ますことができれば、可能性はいくらでも広がっている。それは、世間が見捨てているものの価値を再発見し、それが価値を持つところに売ることから始まる。
日本には成長戦略でなく商人が不足している。
近年こんなことが多いと感じられる方もいるだろう。「サラリーマン」に多少とも目新しい企画を提案すると、出来ない理由を並べられる。根気強く(しつこく)それらを悉く潰していくと、最後には「そんなことをしなくてもやっていける」「確実でないこと、決まったこと以外はやりたくない」という本音が出てくる。給料さえ払われていれば、会社(商売)など関係ない、という精神、これが資本主義といかに遠くても、今日(つまり衰退期)の日本的企業資本主義のものである。
「成長戦略がない」などとホザくのは、間違いなくサラリーマン根性だ。商人は政治家や役人や学者などに頼らない。人間が生きていれば、商材はいくらでも転がっている。文革以後の中国はその精神で発展してきた。資源がなくても、カネがなくても成長は可能だ。自然は食べ物を恵んでくれる。世界中にあるモノやヒトから「価値」を発見し、取り出すのが商人であり、彼らの才能がモノづくりを発展させる。いま中国のモノづくりが成長し、日本のそれが衰退したとすれば、それは「商」が出来る人間が、日本で淘汰されてしまったからにほかならない。受験教育で育った偏差値エリートが支配する社会は、リスクが取れない。それこそが最大のリスクだというのに。(12/11/2009)
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