プレートルの「ラストワルツ」
By admin | 2010年 1月 2日
ウィーン・フィルの新年コンサートはこの10年あまり、ちゃんと聴いたことがない。今年は、2008年に続いて(すでに引退を表明したはずの)ジョルジュ・プレートル (85)が指揮をするというので通して聴いた。テンポもリズムも響きも、この人は違う。老巨匠の風格だけではない、眩い光と陰影、歓喜と悲哀、さらには妖気のようなものが漂うのだ。ウィンナ・ワルツだというのに。2001年秋の来日コンサート。アンコールで演奏したオッフェンバックの「天国と地獄」を想い出した。
生と死のドラマ
ちょうど母を亡くした直後で、非ドイツ系音楽に浸りたい時だったので、事務所の近所のサントリーホールに足を運び、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」などを聴いた。ウィンナ・ワルツへのオマージュともパロディともつかない曲だが、枯淡というにほど遠いプレートルにかかると、このワルツが、陶酔のうちに螺旋的にクライマックスを迎えるも、やがて一陣の妖しい風が吹いてリズムが乱れ始め、突然の「死」によって終わる、聖とも性ともつかない(いや明らかに後者寄りの)ドラマのように響いていた。青少年のころに、アンドレ・クリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団の伝説的名演を上野で聴いて以来、聖なる響きに魅せられた耳にとっては、その薫陶を受けたはずのプレートルの音楽は、悪魔の哄笑のように聞こえた。「これが人生。」
もちろん、解釈として間違ってはいない。第1次大戦への従軍によるシェルショックを引き摺るラヴェルが、最盛期のウィーンの宮廷舞踏会を幻想して書いた曲といわれるが、1920年当時、帝国はなく、すでに機械の時代、大衆の時代が始まっていた。大戦までのグローバリゼーションへの流れが、サラエヴォの銃声によって断ち切られた衝撃は、文明的なシェルショックとも言えるものだった。ワルツは性と隣り合った粗野な民衆舞踊として生まれ、やがて数世紀を経て宮廷に入って優雅さを加えたのだが、その関係は失われなかった。性はつねに生と死を包含している。
この時は、冷戦終結後の平和と繁栄が、9.11テロによって突然に断ち切られた鮮烈な印象も生々しかった。最後に演奏した「天国と地獄」はその極め付けで、「踊る指揮者」と言われたプレートルが微笑を浮かべつつ、楽しげに指揮する姿は、悪魔とも死神ともつかない、しかしおそるべき魅力を放っていた。
Memento mori/carpe diem
2001年 (77歳)から8年。さすがに動きは鈍くなったが、放射するエネルギーはむしろ大きくなったと感じた。相手がシュトラウスのワルツでも、基本的アプローチは変わっていない。ハイライトを輝かせるために陰をていねいに描き、しかも光と陰を動的に交錯させるように響きにアクセントをつける。多くの人は、シュトラウス父子の音楽に「陽」しか見ない(とくに元日には)だろうが、陰があって陽があるのだから、陽だけを美しく軽快に演奏しようとするものは聴く気になれない。ヨハン・シュトラウス二世の時代は、すでに不安の時代に入っていた。帝国の「ラストワルツ」である。それを意識して演奏する必要はないが、陰を見たときに光というものが分かるものだ。人生を知らない演奏はつまらない。
「青きドナウ」は、とても踊れないゆったりしたテンポで、約10分のこの曲が長大に感じたのはキューブリックの「2001年」だった。川の流れをドイツから黒海まで追った映像の効果でもあるが、人の一生のように、水源から出た流れが、しだいに力強い大河に成長し、最後はゆったりとした海に注いで消える。涅槃。アンコールで聖なるドラマを響かせたプレートルは、悪魔でも死神でもなく、やはり神仏に近づいていたのだと思う。失礼しました。
ふいに、ロンドンのコヴェントガーデンにある、猟鳥料理のレストランの壁に懸けてあった『ハムレット』の「墓掘り人」の場を描いた大きな絵を想い出した。有名なドラクロワの絵と似ていなくもないがだいぶ落ちる、人夫がハムレットに骸骨を見せている場面だ。レストランに飾るには陰気な絵であることは言うまでもない。ウェイターに「この絵は何か因縁があるものか」と聞いてみたが、「オーナーが近くのオークションで買った」という要領を得ない返事だった。その時は気づかなかったが、後になって、食事の場に骸骨の絵や模型を置くのは、古代エジプト以来の「伝統」であることを知った。古代ローマの「トリマルキオの饗宴」にも出てくる。これは死を忘れるな/今を楽しめという警句である。骸骨が食欲をそそるとは知らなかったが、あの夜食べた野鴨は忘れられない。空を飛ぶ力を貰ったような気がして興奮した。 (01/02/2009)
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